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『本屋稼業』 - 紀伊國屋書店:文化の創造を志向し続けた本屋の歴史

「企業をモデルにした作品」の第三弾は、波多野聖『本屋稼業』(角川春樹事務所、ハルキ文庫、2017年)。紀伊國屋書店の誕生・発展のプロセスを実名で描いた作品です。1927年、田辺茂一が21歳の時に創業したのが紀伊國屋書店。戦後の46年に法人化され、株式会社紀伊國屋書店に改組されました。しかし、大きく発展したのは、50年に経営陣に迎えられた松原治の尽力によるものでした。二人の存在と紀伊國屋書店の誕生・発展への寄与とは? 

 

[おもしろさ] 「本屋としてやるべきことは全てやる」

本書の魅力は、書店史上において紀伊國屋書店が果たした役割の大きさを理解できる点にあります。紀伊國屋書店が書店業界にもたらした斬新な試みの数々は、いまでは、大型書店の業務として定着しています。それは、「本屋としてやるべきことは全てやる」という考え方のもと、社員たちがさまざまな努力を行った結果でもあったのです。

 

[あらすじ] 「文化人気取り」から「本物の文化人」へ

1905年(明治38年)、新宿で薪炭問屋「紀伊國屋」の長男として生まれた田辺茂一は、子どものころから「やりたいことだけやる」「ほしいものは手に入れる」甘えん坊として育てられました。幼いころに見た、日本橋にある赤レンガ造りの書店「丸善」の崇高な雰囲気に魅せられました。そこには、「上質の、ひんやりとした、凛とした空気が流れていた」のです。そして、1927年、21歳の時にギャラリーを併設した「紀伊國屋書店」を創業。全集時代到来で波に乗りました。集まってくる作家、画家、大学教授などに交じって、いっぱしの文化人を気取っていたものの、物書き稼業も本屋の経営もうまくいかない状態で終戦を迎えました。他方、陸軍少尉の松原治(1917年生まれ)は、九死に一生を得るという、苦労と幸運の混じった経験を経て1945年を迎えました。それから5年後、紀伊國屋書店発展の礎となる二人は運命的な出会いをしたのです。「経済も経営もわからない」と言いつつも、かねてより革新的な試みを展開してきた田辺の良さを、松原は認識し、彼を見事に補佐しました。同社の飛躍的な発展が始まります。田辺と松原の二人三脚が功を奏したためです。以後、紀伊國屋書店は、「洋書の紀伊國屋書店」という評判を定着させ、店舗を全国展開させつつ、斬新な試みを実施して、日本の書店業界に確固たる地位を築き上げていきます。そればかりではありません。本店ビルにおける劇場(紀伊國屋ホール)の併設や紀伊國屋演劇賞の創設などに示されるように、「紀伊國屋が発信する文化」にも力を注ぎ続けたのです。

 

本屋稼業 (ハルキ文庫)

本屋稼業 (ハルキ文庫)