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『最後の相場師』 - 相場師から機関投資家・大衆投資家へという流れの中で

「株を扱った作品」の第二弾は、津本陽『最後の相場師』(角川文庫、2007年)です。主人公である佐久間平蔵のモデルは、是銀こと、是川銀蔵。彼の自叙伝(『相場師一代』。原題は、『自伝波乱を生きる』1991年)を読むと、挫折と再起を何度も繰り返し、激動の20世紀を生き抜いた波瀾万丈の生涯であったことがよくわかります。彼を一躍有名にしたのは、1983年5月12日、主要新聞の夕刊に掲載された昭和57年の所得番付でした。そこには、「最後の相場師」の異名を冠した是川銀蔵氏が日本一と記されています。個性豊かな相場師たちが跋扈した時代から機関投資家や大衆投資家が活躍する時代へと変化するなかで、「相場道」をかたくなに守りながら、たった一人で、果敢に大勝負に挑み、証券界を驚かせた人物。それが是川銀蔵でした。「最後の相場師」と称された所以です。原題は、1983年に日本経済新聞社から刊行された『裏に道あり-「相場師」平蔵が行く』。

 

[おもしろさ] 79歳でついにたどり着いた相場の大原則とは? 

本書の魅力は、なんといっても相場師佐久間平蔵の生き様、彼が仕掛ける仕手戦の描写にほかなりません。半世紀以上、「株の世界」と関わりを持ってきたにもかかわらず、平蔵が株の本道に気づくようになったのは、なんと晩年の79歳のときだったのです。それ以前にあっては、目先の変動に一喜一憂して大局的な判断を狂わされてきた平蔵。しかし、ついに「経済変動の現象の底にある、うねりともいうべき基本的な運動の形を、つかみかけてきていた」という心境に達したのです。「この年齢になって、ようやく株式の妙味がわかってきたようや」。それは、「心を金に執着させずに、無心になるコツ」の会得。そして、会社の業績回復による株価の上昇こそが本道であり、「人の行く裏に道あり花の山」という相場の大原則。いわばあたりまえの原則の再確認でもあったのです。

 

[あらすじ] ほんとうに、波乱万丈の生涯でした! 

明治30年生まれの平蔵のキャリアは、小学校卒業後の神戸の貿易商館への丁稚奉公からスタートします。そして、商館の倒産、16歳で始めた中国での商売、裸一貫での帰国、鉄のブローカー、亜鉛メッキ会社の創業と挫折、佐久間経済研究所の創設と株の売買に関する研究指導の実施、太平洋戦争中における朝鮮での製鉄会社の経営と瓦解などなど、いろいろなことを手がけては、挫折するということを繰り返しています。ただ、挫折・破綻の理由は、多くの場合、個人の制御能力を超えた時代の流れというものによって余儀なくされてしまったもの。むしろ、これだと思ったことに再びチャレンジを試みるところに、平蔵のバイタリティが遺憾なく発揮されたと考えることができます。戦後も、手当たり次第に数え切れないほどの事業を営み、またも浮沈を経験。そして、土地の売買で巨利を得たあと、やっと相場師としての活動を本格的に始動。同和鉱業株の仕手戦での失敗を経て、最後の住友鉱山株の相場で巨利を得たあと、長者番付で日本一に輝くことになるのです。ただ、巨万の富を得るものの、唯一つの楽しみは仕事。女色に金銭を費やすこともなく、骨董の趣味もありません。贅沢とはほど遠い、ごく普通の生活。儲けた利益の多くは、79年に設立した佐久間福祉基金に使われました。それは、大阪府にある養護施設の生徒に学資を提供するためでした。

 

最後の相場師 (角川文庫)

最後の相場師 (角川文庫)

 
相場師一代(小学館文庫)

相場師一代(小学館文庫)