アメリカの原油先物価格(5月物)が暴落し、史上初めて「マイナス価格」を記録したのは、4月20日のこと。それは、新型コロナウイルスを封じる措置に伴うエネルギー需要の低迷など、いくつかの要因が重なったために引き起こされました。直後は、世界経済のさまざまな局面に深刻な打撃を与えるのではという懸念が拡大。それから1ケ月以上が経過したいま、原油価格は緩やかではありますが、上昇傾向を示しています。石油の重要性自体は変わりません。世界各国でコロナの感染拡大に伴う外出自粛の解消が進み、石油需要が増加すれば、以前のような取引環境に戻っていくのではないでしょうか。影響力の大きさゆえに、目を離すことができない原油価格の動向。そうした状況を鑑みて、今回は、石油会社について考えてみることにしました。そこで、独自な路線を貫き、現在は石油元売り大手2位となっている出光興産およびその創業者である出光佐三をモデルにした作品を三回に分けて紹介します。それら3冊は、たとえ同じ経営者や企業をモデルにしていても、著者によってはまったく異なった描き方がありえることがよくわかる事例のひとつになっています。
「出光佐三・出光興産を扱った作品」の第一弾は、百田尚樹『海賊とよばれた男』(上下巻、講談社、2012年)です。出光佐三をモデルとした国岡鐵造の生涯と、出光興産をモデルとする国岡商店が大企業に発展していく過程が描写されています。第10回本屋大賞受賞作。2016年12月10日に公開された映画『海賊とよばれた男』(監督:山崎貴さん、主演:岡田准一さん、出演:吉岡秀隆さん)の原作本。
[おもしろさ] 一企業だけではなく、一国の将来を切り開くために
石油販売会社「国岡商店」を率いる国岡鐵造は明治18年生まれ。戦前、中国で、欧米の石油会社と激しい戦いを繰り広げたことから、彼らの恐ろしさは、十分に知っていました。そのため、戦後、アメリカの石油資本が日本の石油業界を支配するようになる前に、業界の独立性を確保するための手を打っておかなければならない。それが彼の信念だったのです。具体策として想定されていたのは、石油会社の一致団結、製油所の復旧、大規模な製油所の建設でした。一方、政府は、業界を統制することしか頭になく、業界の未来や日本の将来のことなど考えてはいなかったのです。この本のおもしろさは、第一に国岡商店の戦い方です。「国岡商店憎し」の大合唱のなかで、政府・石油配給公団やさらにはGHQとのハードネゴシエーションを通して、戦後も石油業界への参入を懸命に図ろうとする姿に、読者は感銘を受けることでしょう。しかも、そのスタンスは、単に国岡商店だけの利害だけではなく、日本の石油業界の未来を切り開くためという大きな目標のためであったのです。業界への参入を果たしたあと、さらに、国岡商店など、一撃で葬り去るほどの強大な敵が待ち構えていました。それは、石油メジャー=「セブン・シスターズ(七人の魔女)」と呼ばれる怪物でした。第二のおもしろさは、「石油業界で唯一残った民族資本」として、自前のタンカーと製油所を持つことで自らの独立性を貫いた不屈の闘志を描いている点にあります。やっと元売り会社になった国岡商店は、今度は、高い石油価格を押し付け、市場を独占しようとする国際石油資本に激しい戦いを挑み続けます。「石油というもっとも重要な物資を外国資本に握られてしまえば、日本に真の復興はない」。「これは一国岡商店だけの戦いではありません。日本が真に独立するための戦いです」。
[あらすじ] 馘首も出勤簿も労働組合も定年もない
終戦の年に還暦を迎えた国岡鐵造。当時の社員は約千人。そのうち、700名弱は、朝鮮、満州、中国、比島(フィリピン)、仏印(ベトナム)などの海外支店・営業所で働いていました。戦前戦中、活動の大部分は、海外においていたのです。それらの資産は、戦争に負けてしまったことで、すべて消失。石油を手に入れるルートを失った同社は、まさしく開店休業の有り様でした。重役会議で人員整理が遡上にあがるものの、店主の鐵造は、「ならん。ひとりの馘首もならん」と言い放ちます。国岡商店は、明治44年の創業以来、ただの一度も馘首がなく、さらには、就業規則もなければ、出勤簿もなく、労働組合もなく、定年もなかったのです。社是である「人間尊重」の精神は、同業者から「異常」だと言われたものの、「家族の中に規則がある方がおかしい」と言って、店主は信念を貫き通したのです。ラジオの修理や、旧海軍燃料廠のタンクの底を浚うという、困難を極めた作業にも着手。廃油を浚う仕事は利益を生まなかったとはいえ、その仕事ぶりがGHQ内での国岡商店に対する信頼性を生み出すことに貢献。再生への道を歩み始めた鐵造。石油メジャーの牙城に挑戦すべく、イランに向けて、当時としては日本最大、世界でも最大級の巨大タンカーであった日章丸を送り出し、独力で石油の確保に奔走することに。