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『虚構の城』 - 大家族主義と専制主義は、同じメタルのオモテとウラ

出光佐三・出光興産を扱った作品」の第三弾は、高杉良『虚構の城』(講談社文庫、1981年)。先に紹介した二つの作品は、出光興産の「人間尊重の大家族主義」的な経営理念を肯定的に捉えていました。他方、本書は、そこに秘められているネガティブな側面にスポットライトを当てた作品。出光興産をモデルとする大和鉱油に勤めるエリートサラリーマンが経験する悲哀を浮き彫りにしています。著者のデビュー作。

 

[おもしろさ] 日本的経営の「雰囲気・空気」を感じさせてくれる

出光興産は、日章丸二世就航で石油業者の自社運行に先鞭をつけたり、20万トンを超える世界初のタンカーとして出光丸を就航させたりと、幾つもの先進的な試みを行った企業として知られています。と同時に、同社は、日本的経営との関連でしばしば引き合いにだされる企業でもあります。出光佐三が提唱する「人間の尊厳を尊重する大家族主義」という言葉に示されるように、出光は、「馘首がない、定年制がない、労働組合がない、出勤簿がない、給料が発表されていない、残業手当を社員が受け取らない」会社でした。馘首がなく、定年制がないという意味で、日本的経営の重要な構成要素である終身雇用の極致とも言うべき姿がそこにあると考えられていたからです。確かに会社の方針にまったく疑問を持たず、与えられた日々の業務を黙々とやっている人には、それなりにいい労働環境であるかも知れません。しかし、ほんの少しでも疑問を持ち始めると、家族主義も温情主義も、専制主義に転化してしまうという危険性があったのです。日本的経営の一つの極限とも言うべき「大家族主義」の欺瞞性が、あますところなく描き出されています。日本的経営の「雰囲気・空気」を感じさせてくれる作品とも言えるでしょう。

 

[あらすじ] 組合ではなく、従業員仲間の親睦会のようなものなら

田崎健治は大和鉱油に勤務するエンジニア。入社七年目に、世界に先駆けて乾式排煙脱硫装置という優れた反公害技術の開発を成功させたプロジェクトチームの代表者として、大和総造社主から優秀社員表彰を受けた前途有望なエリート社員でした。ある日、「石油業界最大手の大和鉱油に組合が存在しないなんて、不自然とは思いませんか」という一人の部下の一言にちょっとした疑問を抱きます。仕事にかまけ、組合の結成を認めない会社の方針に疑問を持ったこともなかった田崎。労働組合というよりは、従業員仲間の親睦会のようなものならあってもいいと考えるようになっていきます。しかし、それをきっかけとして、「危険思想の持ち主」と決めつけられ、本社の企画部調査課付の辞令を受けることに。事実上の左遷です。社内の人たちが田崎を見る目も冷たくなっていきます。その後、近い将来、乾式排脱装置の建設を予定していた外資系の陽光石油から転職の誘いを受けます。田崎は大歓迎で迎えられました。しかし、役員たちの頭の中では、排脱プロジェクトが終わったあと、田崎は再び日の当たらない部署に着くことが予定されていたのです。なぜならば、転職を決意した田崎には、いわば「前科一犯」だというレッテルが張られていたからです。

 

虚構の城 完全版 (角川文庫)

虚構の城 完全版 (角川文庫)

  • 作者:高杉 良
  • 発売日: 2015/02/25
  • メディア: 文庫