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『狭小住宅』 - 上司の暴力的なプレッシャーのなかで苦悶する営業マンの「変身」物語

「衣食住」。「着ること」「食べること」「住まうこと」の三つは、まさに生活の基本です。しかも、いずれも参入が容易であることから、個人経営の会社を含め、非常にすそ野の広い業界になっています。今回は、そのなかで、市場規模が最も大きな不動産業界に焦点を合わせます。住宅を借りたり買ったりするときに必ずお世話になる、きわめて身近な存在。ところが、そこで働いている人たちの実態は、これまでヴェールに包まれていた感がありました。そこで、不動産会社で働いている人に目を向けた「お仕事小説」を四回に分けて紹介します。

「不動産会社を扱った作品」の第一弾は、新庄耕『狭小住宅』(集英社、2013年)です。上司の暴力的な言動のもと、「今日こそ辞める」と言い続けながらも、会社にしがみついていた不動産会社の営業マンがやがて一人前に変わっていく様子を描いた作品。

 

[おもしろさ] 変わった点が四つあります! 

本書の魅力は、はっきりとした動機もなく入社し、明確なモチベーションを持てないまま日々の仕事に接し続けていた営業マンがやがて、自分自身と向き合うなかで一人前の営業マンに「変身」していく様子をリアルに描いた点にあります。その過程で、変化した点が四つ。第一は身なり。第二は言動。あいまいな言い方を避け、白か黒かで物事を判断するようになった。第三は世の中を見る目。すべてとは言わないまでも、ある程度まで客を自分の思う方向に仕向けられるようになった。第四は生活のリズム。仕事を軸に組み立てる生活になった。自分自身を見つめようとしている人にとって、大切な指摘がなされています。

 

[あらすじ] 居心地が悪いのにしがみつく! 

住宅の売買を専門とする不動産会社「フォージーハウス」。営業活動の始まりは、顧客の「案内」です。今日の予定欄に営業マンの案内という文字が書かれていないと、「武田あ、お前、案内はいってないのによく昨日帰れたな。てめえ、なめてんだろ」といった叱責が飛んできます。また、「てめえ、冷やかしの客じゃねえだろうな。その客、絶対ぶっ殺せよ」「はい、絶対殺します」といったやり取りが日常的になされています。ただし、殺すというのは、社内では、客を落とすとか、買わせるといった意味で使われているのですが……。そんな会社に、ろくに就職活動をすることなく、苦しまぎれに入社した松尾。厳しいノルマ、上司の怒号、足けりなど、苦労の連続。評価されるのは、営業成績のみ。ある日のこと、辞めよう辞めようと思いつつも、どういうわけか今日まで続けていた松尾に対して、上司が言います。「遊ぶ金にしろ、借金にしろ、金が動機ならまだ救いようがある。金のために必死になって働く……。(売る力がある奴なら、誰も文句は言わない。)問題は、強い動機もなく、売れもしないお前みたいな奴だ。強い動機がないくせに全く使えない。大概、そんな奴はこっちが何も言わなくても勝手に消えてくれる。当然だ。売れない限り居心地は悪い。だが、何がおもしろいのか、お前はしがみつく」と。やがて、松尾は自分の仕事や自分自身と向き合うようになっていきます。

 

狭小邸宅 (集英社文庫)

狭小邸宅 (集英社文庫)

  • 作者:新庄 耕
  • 発売日: 2015/02/20
  • メディア: 文庫