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『DREAMER ドリーマー』 - 宝塚歌劇団の登場

「はじめて物語を扱った作品」の第三弾は、宮徹『DREAMER ドリーマー~阪急・宝塚を創り、日本に夢の花を咲かせた男~』(WAVE出版、2014年)。阪急・宝塚を創り、阪急東宝グループの創設者として知られている小林一三の生涯を描いた作品です。宝塚の創設は、大衆向けの近代的な娯楽の黎明期である大正時代の初め。すでに一世紀以上の歳月が経過しています。小林は、演劇(宝塚)を起点に、その東京公演用の劇場を運営する会社として東宝東京宝塚劇場の略)を創設したのです。

 

[おもしろさ] 形は変わるが、夢を実現

夢は小説家になること。思ったことをハッキリと口にする合理主義者である反面、ロマンチストでもあった小林。この本の魅力は、そんな彼がいかなるプロセスを経て、小説という形ではないのですが、少女歌劇の脚本という形で若い頃からの夢を実現させたのかを明らかにしている点にあります。さらに、彼が生き抜いた明治・大正・昭和という時代の流れを浮き彫りにする、興味深い数々のエピソード満載というのも、この本のもうひとつの魅力です。例えば、戦前に東邦電力、東京電力などを設立し、戦後は電力の全国九ブロック体制を実現させ、「電力の鬼」と称されることになる松永安左エ門との半世紀にも及ぶ親交があります。また、昭和15年に、第二次近衛内閣のもとで商工大臣になったときの事務次官岸信介(統制を強力に打ち出す官僚たちのドン的な存在であった)と、小林大臣に代表される自由経済思想との対立も、興味がそそられることでしょう。

 

[あらすじ] 歌劇団のみならず、沿線開発とターミナルデパート

明治6年に生まれた小林一三。生家は、造り酒屋を営み、山梨でも屈指の豪農でした。慶応義塾卒業後三井銀行に就職して14年間勤務したあと、大阪へと旅立ちます。そこで待ち受けていたのは、阪鶴鉄道が目論んでいた箕面有馬電気軌道(のちの阪急)の設立への関与でした。同社の事実上のリーダーとして、小林は、「沿線に住宅を建設し、それを分譲して利益を出すという方式」に先鞭をつけることに。その頃の庶民の生活と言えば、うなぎの寝床の長屋でしたが、郊外にハイカラな住宅を建て、人々の購買意欲をくすぐったのです。さらには、乗客の誘致対策として、郊外にレジャー施設を作ります。具体的には、終点の宝塚に温泉施設を整備、観光地として売り出そうとしたのです。次のステップとして、ほかに類を見ない少女歌劇団を立ち上げることになります。その記念すべき第一回公演が行われたのは、大正3年4月のこと。10月に始まった第三回公演では、小林が自ら脚本を担当した「紅葉狩」が演じられました。小説家になりたいという若いころからの夢がやっと実現したのです。このとき、小林は41歳、社会人になってから20年の歳月が過ぎていました。大正4年から7年にかけて、小林は、会社存亡の危機を乗り越えるべく、阪急の経営を陣頭指揮するという多忙を極めた日々を過ごす一方で、ほとんどの公演の脚本を書き続けていたのです。その後、大正13年には歌劇団専用の新劇場が完成。1年後、始発駅である梅田に、ターミナルデパートの走りとなる阪急マーケットをオープンさせます。上の4階と5階は直営の食堂を開設し、ドル箱に育て上げます。宝塚歌劇団のみならず、「住宅地の分譲と沿線開発をうまくリンクさせながらの鉄道経営」「ターミナルデパート」など、いずれも日本初の試み。小林一三の「はじめて物語」だったのです。

 

DREAMER~阪急・宝塚を創り、日本に夢の花を咲かせた男~

DREAMER~阪急・宝塚を創り、日本に夢の花を咲かせた男~

  • 作者:宮 徹
  • 発売日: 2014/07/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)