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『乗取り』 - モデルは白木屋百貨店の乗っ取り事件

企業は、規模の拡大、新規分野への参入、グローバルな展開、後継者不在への対応など、さまざまな理由で他の企業の合併・買収(M&A)を行います。2019年、日本企業が関わった企業の合併・買収の件数は前年比6.2%増の4088件。過去最多になっています。企業買収は、友好的に行われる場合のみならず、敵対的な形で行われる場合もけっして稀ではありません。特に、敵対的買収の場合、「買収する側」と「買収される側」との間で、相互不信、疑心暗鬼が生じるのが普通です。ドロ沼の様相を呈することも多いのです。それゆえ、企業の合併・買収は、経済小説においてしばしば取り上げられる格好のテーマのひとつになっています。今回は、企業の合併・買収を多角的に考えるために、四つの作品を取り上げたいと思います。

「企業の合併・買収を扱った作品」の第一弾は、城山三郎『乗取り』(新潮文庫、1978年)。名高い横井英樹による白木屋百貨店の乗っ取り事件は、1953-56年に起こっています。本書は、この事件をモデルにしています。作品のなかに、横井秀樹を彷彿させる青井文麿、白木屋を連想させる明石屋、東急の五島慶太をモデルとする中央電鉄の工藤恭太などが登場します。企業の合併・買収を素材にした経済小説の古典的名作と言えるでしょう。

 

[おもしろさ] 「する側」と「される側」との息詰まる攻防劇

この本のおもしろさは、「買収する側」の思惑・戦略・攻撃と「買収される側」の困惑・防御を臨場感たっぷりに描写している点にほかなりません。青井文麿による明石屋株の買い占めから始まり、明石屋と青井の攻防、青井の劣勢化へとつながり、最後のどんでん返しに至るまでの描写。「いっき読み」になる公算が高い出来栄えとなっています。

 

[あらすじ] 株の買い占めは、最初だけが思惑通りに

老舗とはいえ、戦後の混乱からの立ち直りが遅れた明石屋百貨店の営業成績は低迷していました。他のデパートがすでに済ませていた増改築も未だ実現せず、冷房設備も完備しておらず、おまけに、社長の野々村の経営能力は乏しいものでした。青井文麿に「狙われるだけのすきがあった」わけです。明石屋の株価はそれまで50円前後、せいぜい100円ぐらいまでだったのです。したがって、200円台に上がると、重役たちのなかにも株を手放す者が出てきました。それゆえ、株を買い占めていくことは、非常に簡単でした。地銀の関東銀行の頭取にうまく取り入って、資金を調達。が、青井の買い占め株が百万株近くに達した頃から、明石屋側の反撃が本格化することに。

 

乗取り

乗取り