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『不況もまた良し』 - 松下幸之助の歩んだ道

1955~73年の高度成長期に「豊かな電化生活」を実現させた電機産業。続く1970~90年代には、多くの「メイド・イン・ジャパン」の「ハイテク商品」を世界市場に普及させ、日本経済の土台骨となりました。ところが、21世紀に突入する頃から、韓国・中国・台湾といった新興勢力の追い上げを受けて、国際的競争力を弱め、リーディングセクターとしての存在感を低下させつつあります。製品の低価格化、知財管理の甘さに起因する技術の模倣・流出、「垂直統合」による総合電機体制へのこだわり、日本市場優先主義、明確なビジョンの欠如といった点が、そうした日本メーカーの「衰退」をもたらせたと言えるのです。今後の対応策としては、知財管理、標準化戦略、国家レベルでのビジョン・戦略の明確化などが不可欠となっています。しかし、家電やパソコンといった製品から今後ますます市場拡大が予想されるインフラ部門(電力流通システム、発電所、鉄道・自動車システムといった新興国の社会インフラ整備、自治体向け配電システムなど)への重点シフトといった構造再編を遂げつつ、大きく転換しているのもまた、この業界の顕著な特徴となっています。では、①日本を代表する電機メーカーは、どのようにして発展したのか、②なぜ、国際的な競争力を低下させざるを得なかったのか、③それを克服するには、いかなる方策があり得るのか? そうした点を考えるきっかけになればということで、今回は、電機産業を扱った五つの作品を紹介します。

「電機産業を扱った作品」の第一弾は、津本陽『不況もまた良し』(幻冬舎、2000年)。かつて日立、東芝、三菱の重電三社と、松下、早川(現シャープ)、三洋、ソニーなどの弱電メーカーは、激しい販売競争を繰り広げていました。本書は、「ナショナル」のブランド名で数々の家電製品を世に送り出していた松下電器(現パナソニック)の創業者で、「経営の神様」と称えられた松下幸之助の生涯を描いた「伝記小説」です。難局に当たっても挫けず、むしろ大飛躍への足掛かりとしてきたのが、彼の足跡。そこからは、現在の苦境を乗り越えていくための多くのヒントが浮かび上がることでしょう! 

 

[おもしろさ] 「あたりまえのことをやってきただけや」

もっとも印象に残るのは、なんと言ってもこの本に散りばめられた松下幸之助の言葉の数々です。まず、「なぜ出世したのか」という問いかけに対して、「私はふつうの人間や。時に応じてふつうの努力をしてきたが、いつのまにかいまの境遇になった。これは運があったためで、とりわけひとに優れていたわけではない」と答える幸之助。「どんなぐあいにうまくやって成功したのか」には、「あたりまえのことをやってきただけや」と。問題に直面したら、「いままでとはちがう角度から、問題を見直してみるしかない。そうしたら、いままで思いつかなかった新しい見方がひらける」。「一歩だけ先を見たらいいんやないかということですね。それを三歩も四歩も先を見ようとすると、失敗しまんな」。「成功とは、成功するまで続けることだ」。「良い品は、値打ちが分かってもらえれば、きっと買い手があらわれる」といった信念と、業界の通念にとらわれない発想もまた不可欠なのです。

 

[あらすじ] 「これだけ儲かった。君らのはたらきのおかげや」

明治27年(1894年)に生まれた幸之助。貧しいながらも、比較的平穏な小学校時代を過ごします。ところが、満十歳の誕生日の直前、中退することを余儀なくされた幸之助は、大阪の八幡筋にある火鉢屋に丁稚として働いたあと、今度は船場堺筋淡路町自転車屋を始める五代音吉のもとで働き始めます。五代商店の小僧となった幸之助は、10歳から15歳までの6年間に、朝晩の拭き掃除、店番、陳列した自転車を磨きたてる仕事、修理の手伝いといったものだけではなく、得意先回りから売上金の回収に至るまで、店を切り盛りする術を身に着けていきました。電気事業の将来性に目を付けた16歳の幸之助は、大阪電燈の内線係見習工に転職。その後、淡路島の回漕業者の井植清太郎の次女・むめのと結婚した幸之助は、「松下式ソケット」の実用新案登録を特許庁に出願。さらに、検査員に出世したものの、あまりにも楽な仕事であったため、同社を退社。むめのの弟・井植歳男(のちに三洋電機の創業者となる人物)などと一緒に、自分が考案したソケットの製造に挑みます。ところが、ソケットはさっぱり売れません。いよいよ万策尽きた。が、そのとき、思いがけない「救いの神」があらわれたのです。それは、ある電気商会から、破損しやすい陶器ではなく、練り物で扇風機の碍盤の見本を作ってほしいというものでした。その見本生産に成功を収めた幸之助は、「松下電気器具製作所」という看板を掲げ、碍盤のほかにも改良アタッチメントプラグの制作に着手することになります。幸之助は、ほかの経営者のように、職人たちに対して練り物の製法を秘密にしませんでした。さらには、毎月の収支を公開し、帳面を見せて公開するというやり方を採用。「今月は、これだけ儲かった。君らのはたらきのおかげや」。

 

不況もまた良し (幻冬舎文庫)

不況もまた良し (幻冬舎文庫)