アメリカにおいて、知的所有権(発明やデザインなど、精神的創作努力の成果としての知的成果物を保護する権利の総称)の保護戦略が本格的に進められる契機になったのは、レーガン政権下の1985年1月に出された「ヤング・レポート」と考えられています。そこで指摘されたのは、「アメリカの国際競争力を取り戻すために、国内外の知的所有権の強化をその政策課題の最優先事項とすべきである」という点です。小杉健治『特許裁判』(実業之日本社、1994年、集英社文庫、1999年)は、その後に多くの関心を集めることとなった「アメリカ企業による特許侵害に関する裁判」という状況を念頭において書かれています。同書は、訴訟慣れしたアメリカ企業から特許侵害で裁判を起こされた日本企業の対応を見事に描いた経済小説の古典的名作のひとつです。そしていま、「知的所有権・財産権(intellectual property rights)を知らずして、企業の発展はあり得ない」と言われるほど、その重要性が増しています。知財をめぐる対立・係争は、国の内外を問わず、企業間競争の重要な一翼を担うようになっているのです。今回は、知的財産の本質、戦略的意義、それをめぐるトラブル・係争・訴訟を扱った作品を三つ紹介します。
「知的財産を扱った作品」の第一弾は、奥乃桜子『それってパクリじゃないですか? ~新米知的財産部員のお仕事』(集英社オレンジ文庫、2019年)。弁理士をはじめ、知財関連の部署で働く人たちを描いたお仕事小説です。知的財産や特許などに関する知識がまったくない女性社員が異動先である知的財産部の仕事を通してスキルを鍛え上げていきます。知財に関する案件で悩まされたとき、まったくの門外漢でも対応可能な道筋がリアルに明示されているので、大いに役立つコンテンツになっています。
[おもしろさ] 「知財戦略は会社の生命線」
商品の名前など、すぐに真似ができてしまいます。だから、他社にパクられることは大いにあり得るのです。そこで、皆、特許庁に出願して自らの権利を保護しているのです。すでに販売されている商品名になっている商標はもちろんのこと、パクられたり、先に使われたりしないように、実際には使用されていないものでも登録の対象になっています。登録商標と認められると、他社はその商標を使えなくなるからです。勝手に使えば、法律違反となり、損害賠償の対象となるのです。この本のひとつの魅力は、商標権をめぐる特許侵害の具体的な事例を紹介するなかで、当事者がどのように対応していけばよいのかを明快に示している点にあります。知財の重要性は、それだけではありません。さらに一歩進めると、会社の「楯」を拡充させ、企業間競争を一層有利に展開することを可能にさせるからです。例えば、開発に携わっている人たちが、発明になりそうなネタを探し、知財部に提案する「発明提案書」の制度をより充実させ、工夫や発明を特許にすることで、会社のパワーを一層アップさせることができるのです。本書のもうひとつの魅力は、一般的には知財戦略の重要性が依然として高く評価されていないという現状を憂い、警鐘を鳴らしている点にあります。換言すれば、「知財戦略は会社の生命線」であると認識することの必要性を訴え、それを実行するにはどのような展開がありえるのかを示しているのです。
[あらすじ] 最初に出願した人に権利が与えられる商標権
中堅飲料メーカー「月夜野ドリンク」の製品開発部に勤める藤崎亜季は、自社の特許や商標を権利化する、新設されたばかりの知的財産部(通称知財部)へ異動になります。弁理士(知的財産権の専門家)のことを「便利士」と間違ってしまうほど、知財に関してはド素人の彼女。親会社からの出向社員で、上司となる北脇雅美から、知財部の仕事の本質は、「誰かの努力が作り出した、汗と涙の結晶を守ること」と指摘されます。そんなとき、十年来の親友・根岸ゆみから相談が持ちかけられます。それは、株式会社パリークからゆみのもとに送られてきた警告書にどのように対応すべきなのかというものでした。警告書には、ゆみが使っている「ふてぶてリリイ」というブランド名が、すでに同社によって商標登録されているので、今後使用しないようにと記されていたのです。ゆみが展開しているビジネスをパクったうえで、勝手に出願し、乗っ取ってしまおうという意図は明白であるにもかかわらず、「商標まわりに関しては、まったく詐欺なんかじゃない。至って普通のビジネスのやりとり」にすぎないものだったのです。「商標権は、世に作品がうまれた瞬間に自然に生じる著作権」とは異なり、最初に出願した人間が権利を得ることができるからです。亜季は、落胆しているゆみを励まし、北脇のアドバイスを受けながら、反撃をスタートさせます。その案件を皮切りに、パロディ商品の訴訟騒ぎや、社運を賭けて開発した新製品の製造技術に対するライバル社からの特許侵害の通告を契機として始まった係争などを通し、亜季は、一人前の知財部社員として成長していきます。