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『禁断のスカルペル』 - 賛否が入り混じる、腎移植が生み出す波紋

「医師を扱った作品」の第四弾は、久間十義『禁断のスカルペル』(日本経済新聞出版社、2015年)です。東北のある中規模地域病院が舞台。陸奥哲郎医師の指導のもと、卓抜な技術を有した医師たちによる腎臓移植術が行われていました。しかし、悪くなった腎臓を利用しての移植は、日本の移植ルールに合っているわけではありません。社会的には認められないという可能性も残っているのです。陸奥医師の指導を受けて、「禁断の腎移植」に挑む女性医師が体験する、賛同と批判・非難・攻撃が入り混じる顛末を見事に描いた作品です。

 

[おもしろさ] 患者のためには、許されてしかるべきなのか? 

身体にたまった老廃物を尿にして体外に流す役目を有した腎臓。それが働かなくなると、患者は体内にたまった毒素を放出できず、亡くなってしまいます。そうならないため、多くの患者が利用するのが透析。身体から老廃物のたまった血液を取り出し、装置を通して浄化し、再び体内に戻す操作です。個人差があるものの、一回の透析に要する時間はおよそ四、五時間。患者たちは、それを週に二、三回行うことを余儀なくさせられます。ただ、透析は腎臓を治す手段ではありません。そこで登場するのが腎臓移植。が、移植には腎臓を提供する人(ドナー)が必要です。希望しても手術が叶うとはかぎりません。死んだ人の腎臓を移植するケースは提供者が少なく、受けられる可能性が非常に低いからです。一般的には、日本臓器移植ネットワークで献腎移植の順番を待つことになるのですが、多くの患者は、間に合わなくなってしまうのではという恐怖と格闘しているのです。それゆえ、ガンなどの病気にかかり、捨ててしまう腎臓を修復して移植することは、死を待つだけの患者にはまさに「福音」にほかなりません! 陸奥は言います。「摘出して捨ててしまう腎臓が多すぎる……。本当にもったいないんだ。患者のためには、許されてしかるべきなのでは」と。大いに考えさせられる作品です。

 

[あらすじ] ドラマティックな波乱の渦の中で

4年前に御茶ノ水にある国立医科大を卒業した柿沼東子。研修先として働き始めたのは、友朋堂総合病院でした。研修修了後も、そのまま同病院に勤務することに。そして、高校時代の同級生であった岩井拓馬と結婚し、やがて絵里香を出産します。ところが、自らの過ちで、拓馬から離婚の申し立てがなされ、娘の絵里香の親権も失います。さらに、追い打ちをかけることが。西伊豆にあるケア付き高齢者用マンション「ヒースの丘長生園」で看護師として働いていた母親の柿沼潤子が亡くなったのです。母の同僚から、東子の父親が、かつて母の働いていた病院の内科医・大倉東夫であると知らされます。三ケ月後、東子は、東北の伊達湊市にある伊達湊病院に赴任。そこで目にしたのは、アメリカで武者修行を行い、超一流の評価を得てきた陸奥哲郎医師の指導のもとで行われている腎臓移植術だったのです。「トンコ先生」と呼ばれ、徐々に伊達湊の生活に慣れていく東子。溺れて何分かの心肺停止状態を経験し、そこからの生還を果たした彼女は、「もっと人様の役に立てるよう、積極的に生きてみたい」と思うようになります。5年後、彼女は、病気の腎臓を移植するその「禁断の手術」のスペシャリストとして技術を磨き上げていました。そして、臓器売買の容疑で逮捕→伊達湊病院における腎移植がニュースで取り上げられる→マスコミによる非難→保健省の技官による聞き取り調査→移植医学会の重鎮たちによる反対論の展開→保健省による調査→当事者たちによるテレビ討論→陸奥および柿沼医師の「保険医」登録の取り消しの危機→アメリカにおける国際シンポジウムの開催→父親との再会→絵里香との再会など、東子は実にドラマティックな波乱の渦の中に巻き込まれていくのです。