「江戸・東京はじめて物語」の第二弾は、伊東潤『江戸を造った男』(朝日新聞出版、2016年)です。前回(1月4日)のブログで取り上げた門井慶喜『家康、江戸を建てる』では、江戸のインフラとして、治水、貨幣、飲料水、江戸城の石垣、天守の建造が整備されるプロセスが明らかにされました。ただ、江戸をさらに発展させるためのインフラ整備としては、依然として十分ではありませんでした。なぜならば、歳月の経過とともに、都市の拡大と人口の増加が進むと、新たな問題が露呈し始めてきたからです。具体的には、①家・屋敷を建造するための木材、②人々の食糧、③財源となる銀などの確保が、大きな課題として浮上してきたのです。本書は、それら三つの難題に解決の道を切り開いた人物とも言える、材木商の河村屋七兵衛(のちの瑞賢)の艱難辛苦・波瀾万丈の生涯を描いています。
[おもしろさ] 彼の生涯を彩ったのは、学びと実践の繰り返し!
本書の読みどころは、なんといっても、さまざまな困難にはばまれるものの、江戸のインフラ整備という与えられた使命を全うしていく七兵衛の生き様の描写にあります。と同時に、彼の生涯を彩ったのは折に触れてさまざまなことを学び、反省し、それを実践していった点にあります。例えば、初めて江戸に来た1630年、肝に銘じたのは、「命じられたことだけしていては、駄目。頭を使わないと生き残れない」という教えでした。後述する保科正之に言われたのは、「そなたには、(顔をぎらぎらさせている)欲を超越した大欲を感じる。大欲者とは目先の利にこだわらず、巨大な利を求める者のこと。人は立ち止まっていては駄目だ。いかなる悲しみに遭おうと、前を向いて進んでいかなければならぬ」ということでした。「仕事には目標がある。それを成し遂げることで、何かがよくなり誰かが喜ぶことになる」。「人とは、怒鳴りつけて動かすものではない。その人の気持ちを理解し、人それぞれの値打ちを尊重し、気分よく仕事ができる環境を整えてやれば、人はいくらでも力を発揮する」。いずれも、自らの存在を再確認するとともに、前に進むためのインセンティブになったことでしょう!
[あらすじ] 死を覚悟の行動によって切り開いた自らの歩く道
明暦3年(1657年)、13年間材木の売買に携わってきた河村屋七兵衛40歳。江戸の町の三分の二を焼き尽くし、のちに「明暦の大火」と呼ばれる大火事に見舞われ、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれました。辛うじて生き延びた彼は、「一からの出直し」覚悟で、江戸の家・屋敷の再建に必要な材木を求め、木曾に赴きます。絶体絶命の危機を逃れて、ついに現地にたどり着いた七兵衛。木曾の木材確保に成功し、「大分限」(大金持ち)に。帰京した江戸で被災者の大量の遺骸を目の当たりにした七兵衛は、飢えた人たちに粥を施すようになります。と同時に、死を覚悟して、徳川四代将軍家綱の後見人である保科正之に直訴。生き残った者の命を悪疫などから守るためにも、遺骸を葬り、供養してほしい旨を懇願します。保科の回答は、その事業を「七兵衛自身が指揮して行え」というものでした。このようにして、江戸の再建に必要な木材を確保することに成功した彼は、ほかならぬ保科と昵懇となったことで評判を生み、多くの埋め立て工事でも活躍。保科の手足として江戸再建を下支えする役割を演じるようになります。そして、今度は日本列島の海運航路の開発を命じられるのです。食糧不足に悩む巨大都市・江戸に奥羽の物産を届ける新たな物流拠点を構築するためでした。さらに、越後高田藩の銀山開発などでもけた外れの力を発揮していきます。