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『花のれん』 - モデルは吉本興業の創業者=吉本せい

2022年4月に創業110年を迎えた吉本興業ホールディングス。1960年代の演芸ブーム、80年代の漫才ブーム、90年代におけるダウンタウンの大活躍と、テレビとのタッグを通して全国区に押し上げられ、いまでは「一大お笑い企業」になっています。3月には「BSよりもと」が開局し、テレビ局への参入を果たしました。が、そうした快進撃の土台と言えば、やはり大阪ミナミの「なんばグランド花月NGK)」を頂点とする「生の舞台」にあります。では、今日に至るまでに、吉本興業はどのようなプロセスを経てきたのでしょうか? 同社の過去を紐解く場合、真っ先に上げられるのは、創業者である「吉本吉兵衛(通称泰三)・せい夫妻」および彼女の弟で、同社の発展を主導した「林正之助」の存在です。今回は、吉本興業の歴史に触れることができる二つの作品を紹介します。

吉本興業を扱った作品」の第一弾は、山崎豊子『花のれん』(新潮文庫、1961年)です。主人公である河島多加のモデルは、吉本興業の女性興行師である吉本せい。大阪商人の「ど根性」ぶり、同社発展のプロセス、ビジネス言葉としての大阪弁の妙味、好きになった男性の言動に揺れ動く女性の心の動きなどが豊かな表現力で描かれています。第39回(1958年)直木賞受賞作。1959年に宝塚映画(配給は東宝)で映画化されたあと、本書に着想を得て、1960年・66年・95年と三度テレビドラマ化されています。

 

[おもしろさ] 寄席の世界に「コンテンツ革命」を! 

いまから110年前、寄席と言えば、もっぱら落語が中心。ところが新参者の河島吉三郎・多加夫妻が「場末の寄席」から出発しようとしたとき、一流どころの落語家を集めることは至難の業だったのです。そこで、彼らが目を付けたのが、物真似、講談師、音曲、剣舞、軽口などのいわゆる「色物」でした。場末であるがゆえに、かえってそうした出し物が観客に受けたわけです。のちには、「安来節」や漫才といったものが加わり、多加の大成功を演出していくことになります。本書のおもしろさは、まったくの素人であった河島多加が夫の道楽の延長線上で寄席の世界に入り込み、素人なるが故の発想力と「商人(あきんど)」としての才覚を駆使し、中核はもっぱら落語で構成されるという寄席のあり方に出し物の多様性を創出させるという「コンテンツ革命」とも言いえるような変化をもたらした点にあります。

 

[あらすじ] 「白い喪服」に身を包んだ多加の覚悟とは! 

米屋の娘として成長した多加は、船場の河島屋呉服屋の創業者でもある河島吉太に気にいられ、一人息子の吉三郎のもとに嫁いできます。吉太に商いの仕方を仕込まれた彼女は、その期待に応える働きをしたのですが、半年後、吉太は急死。それからの吉三郎は、頭の上の重しが取り除かれたようで、にわかに派手な振る舞いをするようになります。芸事にうつつを抜かすばかりの頼りない夫と化したことで、店は低落状態に陥っていきます。しかし、多加の口から発したのは、「あんさん、そないに寄席や芸事好きやったら、芸人になってしもたらどうだす」という言葉。「よっしゃっ、おおきに、やらして貰いまっせ」と吉三郎。こうして、店を仕舞い、寄席の売りもの探しに奔走した挙句、やっと粗末な造りの、場末の寄席を購入することに。そして、一流・二流どころの落語家の出演は困難だったので、冷や飯喰いの若手落語家を芯に、色物をまぜて、なんとか「天満亭」の開演に漕ぎつけたのです。明治44年、吉三郎34歳、多加25歳のときでした。ところが、3年後、寄席の運営が軌道に乗り始めると、吉三郎は、今度は女道楽にうつつを抜かすようになり、ついに妾の家で急死。「白い喪服」に身を包んだ多加は、覚悟を決めて、天満亭の経営にのめり込んでいきます。