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『小説 吉本興業』 - 林正之助が創出した吉本興業ワクワク史

吉本興業を扱った作品」の第二弾は、難波利三『小説 吉本興業』(文春文庫、1991年。のちに『笑いで天下を取った男 吉本王国のドン』ちくま文庫、2017年と改題)です。吉本興業の歴史に彩を添えた人物として挙げられる「創業者・吉本せい」と「発展の主導者・林正之助」。山崎豊子『花のれん』には登場しなかった林正之助が、この作品ではメインとして扱われています。「ユーモア感覚」「明治人の律義さ」「向こう意気の強さ」「ヤクザ者とも渡り合える度胸」を兼ね備えた正之助がいてこそ、吉本興業の今日の発展があることを再確認できるドキュメンタリー小説です。

 

[おもしろさ] 世の移り変わりとともに

本書の魅力は、林正之助の視点で吉本興業の発展史をリアルに再現している点にほかなりません。「大阪弁花菱アチャコ」と「一応標準語の横山エンタツ」とのコンビ誕生の波紋、漫才の出現と定着、ラジオ出演禁止という掟を破った桂春団治との「けんか」を契機とするラジオへの本格的な露出、吉本による通天閣の買い取り、第二次大戦に伴う寄席・劇場の閉鎖や消失、戦後におけるテレビを活用した演芸部門の再充実、花登筐が率いるコメディアンたち(大村崑、佐々十郎、芦屋雁之助等)の取り込み、梅田花月での寄席のテレビ放映、吉本新喜劇の誕生・成長。世の移り変わりとともに、吉本興業が辿った変遷を彷彿させるおもしろいエピソードのオンパレードです。

 

[あらすじ] 「安くて楽しく、面白いものを」

荒物問屋「箸吉」の若旦那・吉本吉兵衛25歳にみそめられて結婚したせい。ところが、娶ったばかりの彼女に家業を任せ、吉兵衛の方は、当時大阪の商家の旦那衆の間で流行していた「芸人道楽」(お気に入りの芸人に小遣いを与えたり、着物を買ってやったり、自分も舞台に立ったりする遊び)にうつつを抜かすようになっていました。店は破産に追いやられたのですが、明治45年4月、二人は、天満天神裏の「第二文芸館」を買い、寄席の世界への参入を果たします。落語が全盛で、落語以外は色物扱い、漫才はまだ生まれていない時代でした。落語の場合、噺は練りに練られ、無駄が削ぎ落されています。通にはそれがたまらない魅力。でも、多くの人たちにとっては、そこまで深い芸を味わいたいという欲求はありません。そこで、二人が選んだのは、色物を充実させ、「安くて楽しく、面白いものを」というやり方です。その後、吉本興業の精神として継承されていく考え方は、すでにその勃興期に作られていたのです。「日の出の勢いとでも形容できそうな、昇り調子」の姉夫婦の事業を林正之助が手伝うようになるのは、19歳になった大正7年の秋のこと。そして、有能なプロデューサーとしての力を発揮いていきます。吉兵衛が急死した大正13年以降、せいの片腕として、正之助は本格的な活動を展開。アチャコエンタツの名コンビで一世を風靡することになる漫才を世間に認知させたことを筆頭に、日本の演芸史に多くの足跡を残していきます。