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『大番』 - 証券会社の「昔と今」

東京証券取引所があり、「日本のウォール街」とも呼ばれている日本橋兜町。戦前は、「シマ」と呼ばれました。そこは、玄人の投資家や相場師たちが躍動する世界で、営業する証券会社は「株屋」と称されていました。ところが高度成長期、「素人の個人投資家」が出入りするようになり、証券会社も一般の投資家を前提とした事業展開を行うように変わっていったのです。株屋から証券会社への転換とは、客に損をさせて儲けるのではなく、客を儲けさせ、手数料の利益を軸に、会社も儲けるという時代への変化と言えるかもしれません。さらに、時代は変転していきます。インターネットが定着すると、今度は「ネット証券」と称される業態が一般化したからです。現在では、大多数の初心者は、おおむねネット証券に口座を開設することで株式投資に参入するようになっています。今回は、そうした証券会社の「昔と今」を浮き彫りにしている作品を五つ紹介したいと思います。

「証券会社を扱った作品」の第一弾は、獅子文六『大番』(小学館文庫、上下巻、2010年)です。相場師として名をとどろかした「ギューちゃん」こと、赤羽丑之助の一代記。山あり谷ありの「ど根性サクセス・ストーリーの伝記小説」(北上次郎)です。ギューちゃんの波乱万丈の人生を楽しみながら、不思議な株の世界、その魅力と恐ろしさを垣間見ることができます。初出は、1956年から58年までの『週刊朝日』での連載。1957年に上映された『大番』『続大番 風雲篇』『続々大番 怒涛篇』、1958年に上映された『大番 完結篇』(いずれも主演は加東大介さん)および1962年10月~63年4月にフジテレビ系列で放映された『大番』(主演は渥美清さん)の原作。

 

[おもしろさ] 株の真髄:投機と投資の挟間で

昔から、お金儲けの早道として考えられてきた株の取引。兜町は、まさに「成金の製造所」。が、と同時に「成貧の製造所」でもあったのです。「学歴も、年齢も、コネも、一切、問われない代わりに、人間の頭と腕が、これほど、ものをいう世界はない」のです。本書の魅力は、丑之助が到達した株取引の「真髄」とも言うべき境地を描いている点にあります。「丑之助に、株という不可視物が、おぼろげながら、映えてくるようになった。声はすれども、姿は見えずであるが、株は、生きてる証拠に、動くのである。上がったり、下がったり、横に這ったりする。しかも、人の予想と反する活動をする。生きもののうちでも、よほど、活動力のある、面白い生きものにちがいない」。ただし、焦った心で、相場に向かうと、判断もカンも狂うのが当然。「相場とは、金に飢えた者に、金を与えてくれるような、そんな甘い、優しい母親ではない」。しかし、失敗して、かえって相場に愛着を深めていける世界でもあるのです。「相場はバクチだというし、いや、とんでもない、立派な商いだともいう。株を買う行為も、投機といわれ、また投資といわれる。しかし、いくら純然たる投資にしても、買う対象と時機を選ばねばならず、それに当たりと、外れがあるから、投機性が皆無だとは、いわれない。また、投機行為といっても、投機そのものが目的ではなく、結局、金儲けがしたいのだから、大きなリスクを賭けた投資と、いえないこともない」。

 

[あらすじ] ギューちゃん、株の世界へ

赤羽丑之助は、愛媛の半農半漁の村、貧農の家に生まれました。勉強はできませんでしたが、算術と記憶力には優れていました。父親の忠実な助手として働き、お金儲けも覚えました。ところが、地域の名士・豪農である森家のお嬢さん可奈子にガリ版の恋文を出したことで、村には住めなくなって上京。丑之助の年齢は18歳、時代は昭和初期でした。偶然にも、村田源三が社長をしている太田屋現物店という株屋で、小僧(走り使い)としての働き口を見つけます。赤い芋のような顔、太い首、坊主狩りの頭という彼の風貌は、周りの人と安心させ、名前をもじって「ギュー公」「ギューチャン」と呼ばれるようになります。やがて株の世界に入り、独り立ちを決意。当時は、株屋とは危ない商売で、いわばバクチと同じことをやっていた時代。一時的に儲けても、すべてすってしまい、しまいには、自殺したり、気が狂ったりする例がたくさんあったのです。