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『小説兜町』 - 株屋から証券会社へ:転換期の実相

「証券会社を扱った作品」の第三弾は、清水一行『小説兜町(しま)』(角川文庫、1983年)です。日本資本主義のメッカと称される株の町・兜町。そこで「最後の相場師」と言われつつも、「株屋から証券会社への近代化」の過程で、証券会社を追われていく山鹿悌司(日興証券営業部長の斎藤博司がモデル)の波瀾万丈の生涯と、株の持つ「妖しい魅力」が描かれています。城山三郎山崎豊子とともに、「経済小説というジャンル」を作り上げた清水一行のデビュー作。経済小説を代表する古典的作品のひとつと言えるでしょう。

 

[おもしろさ] 時代の流れに抗しきれず、もがき苦しむ姿が

高度成長期の過程で、大きな変貌を遂げた証券界。それは、「玄人の相場から大衆中心の相場」への転換でした。当時は、まだ上場銘柄も少なく、発行株式数もそれほど多くはありませんでした。大金が投じられると、株価も敏感に反応しました。そのため、勘とひらめきで相場を牛耳る相場師が活躍できたわけです。ところが、投資信託に引きずられるようにして、大衆投資家が大きな力を発揮し始めると、事態は大きく変化していきました。個人の相場師が活躍する舞台が少なくなるとともに、大証券会社の販売力が物を言うようになっていきます。その結果、「株屋から証券会社への近代化」が一層推進されたのです。ただ、そうしたドラマティックなプロセスを、当事者の生き様という点にスポットライトを当てると、そこには、時代の流れに抗しきれず、もがき苦しむ人間の生の姿が映し出されていきます。本書の魅力は、そのような証券界の変貌とその渦中で翻弄された当事者の実像を描き上げている点にあります。

 

[あらすじ] 「最後の相場師」を創り上げた男たち

1952年、興業証券の創業者社長で、証券界の「天皇」と呼ばれた大戸元一(遠山元一がモデル)は、魚のブローカーをやっていた山鹿を再入社させます。大戸が山鹿に期待をかけたのは、山一のスター的存在であった瀬戸浩将に対抗できる興業のエースに育て上げるため。入社からの2年間は、地味で不得意な仕事にじっと耐えた山鹿。54年に営業部に回され、「証券評論家」の佐府良輔の誘いによって株を扱うようになります。当時は、まだ証券評論家というのは大変珍しい職業でした。そもそも証券会社の調査部もほんの名目的な仕事しかしていない時代でもあったのです。佐府は、山鹿を使い、自分が推奨する株を買わせるようにし向けます。大当たりでした。勝てば官軍です。本店営業部第一課長になった山鹿の周辺には、投資グループのようなファン層が形成され、折からの神武相場に乗って営業活動を拡大していきます。と同時に、彼は、客に推奨するだけではなく、同じ銘柄の株を自分でも買ったのです。さらに、平和不動産の仕手戦での成功を手始めに、強気の山鹿は当たり続けたのです。しかしながら……。