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『メイド・イン・ジャパン』 - 粗悪品からの脱却に尽力する経営者の夢と挫折

「戦後復興期を扱った作品」の第三弾は、城山三郎の短編小説「メイド・イン・ジャパン」(『総会屋錦城』新潮文庫、1963年所収)。「私の夢は、メイド・イン・ジャパンと刻印した湿度計をアメリカに輸出すること!」 品質の改善に力の限りを尽くした湿度計メーカー社長の夢と挫折を描いた作品。この作品が対象とする時期は1960年前後なので、正確には戦後復興期ではありません。しかし、テーマとなっている「メイド・イン・ジャパンは粗悪品の代名詞」という状況は、戦前から高度成長期の前半までの日本製品に当てはまり、戦後復興期の大きな特徴点でもあるので取り上げました。

 

[おもしろさ] 「メイド・イン・ジャパンは粗悪品の代名詞」

いまでこそ高品質の代名詞となっている「メイド・イン・ジャパン」。しかし、高度成長期以前にあっては、それなりの粗悪品の代名詞だったのです。それゆえ、たとえ品質に自信があっても、「メイド・イン・ジャパン」と刻印した製品を輸出することは事実上許されなかったのです。本書の特色は、そうした時代状況をヴィヴィッドに描き上げている点にほかなりません。

 

[あらすじ] 藤下の夢 VS 同業者の現実的対応

日本でもビッグ・スリーの一つに位置づけられている湿度計メーカー「銀河湿度計」(従業員421名)の社長・藤下彰。彼は手先の器用な優れた熟練工を多数擁し、良質の湿度計を生産することに、それなりの自信を持っていました。他方、同業者の多くは、安い粗悪品を平気で輸出し、日本製品の信用を落としても意に返さないといった、いわゆる「一発屋」だったのです。そうした状況に対するアメリカ側の対応は、85%への関税引上げでした。技術の改善とコストの切り下げで、なんとか高率関税の壁を乗り越えたと思ったら、アメリカ側は最後の切り札を提示しました。業者たちの口を凍えさせた不吉な言葉であった「メイド・イン・ジャパン」を明記する義務が付け加えられたのです。ほかの同業者は、「湿度計を普通より一センチほど長く作っておき、その延長部分に刻印し、アメリカ国内に入った後で刻印された部分を切り落とす」ことで、法のウラをかいて輸出を続けたのですが、藤下はそれを潔しとしませんでした。メイド・イン・ジャパンという夢を大切にしたかったためです。しかしながら、銀河湿度計に対する注文は日増しに減少して行かざるを得ませんでした。