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『臨3311に乘れ』 - 旅行代理店業務の黎明

「祖業を扱った作品」の第二弾は、城山三郎『臨3311に乘れ』(集英社文庫、1980年)。1948年に馬場勇をはじめとする5人のメンバーで成立した「日本ツーリスト」。「臨3311(サンサンイチイチ)」と呼ばれる修学旅行専用列車を走らせるなど、日本交通公社日本旅行といった強大な先輩会社を敵に回しつつも、斬新なアイディアで旅行代理店業務の新市場を開拓していきます。ところが、信用も資本もない弱小会社の域を脱せず、事業は足踏み状態に。そんなときに、彼を助けたのが、近鉄の社長・佐伯勇でした。1955年、佐伯の支援のもとで、近畿交通社と合併し、「近畿日本ツーリスト」社が創設されます。かくして、「便利で快適な旅行」を演出する旅行代理店業務がわが国でも定着していきます。

 

[おもしろさ] さまざまな「はじめて」の試行と定着

本書の魅力は、まだよく知られていないさまざまな「はじめて」がどのようにして始められ、定着していくのかを描いている点にあります。日本ツーリストの「はじめて」は、[あらすじ]のところで紹介するとして、ここでは、近鉄の佐伯勇の「はじめて」に触れておきましょう。人口の密集地帯を走り、放っておいてもお客が乗ってくれる関西のほかの大手私鉄とは異なって、近鉄は中距離鉄道という性格が強い鉄道会社でした。それゆえ、佐伯自身も、たくさんのチャレンジを余儀なくされました。例えば、特急料金での全車指定、おしぼり作戦から始まって、のちには二階建て電車の建造、車内からの長距離電話、インタホンによるラジオの聴取、コンピューターによる座席予約といった新しい試みを挙げることができるでしょう。

 

[あらすじ] 始まりは修学旅行専用の臨時列車から

日本ツーリストの創業者は、馬場勇と朝鮮銀行時代の仲間たち。場所は、秋葉原のガード下。当面、学校を廻って修学旅行客を集めることを目標に営業活動を開始。やがて、4時間以上もかかる上野・日光間の修学旅行の団体を定期列車で一般客と一緒に分乗させるのではなく、座席が確保された臨時の修学旅行専用車を初めて仕立て上げます。さらに、好評を博した臨時専用車を京都・関西行きにも拡大。それが「臨3311」なのです。創業4年目に、大量に送客した実績を認められ、国鉄から団体取扱指定業者になります。交通公社に次いで二番目の認定でした。その後、鉄道とバスを何度も乗り換えるという、名古屋周辺の中学校の修学旅行を全行程バスで実施。瀬戸内海の移動にも、修学旅行専用船を走らせます。会社発足後6年目、神田にある木造貸しビルに本社を移転。営業の拠点は急ピッチで増え続け、学校だけではなく、農協や信用金庫といった団体の旅行にも食い込んでいきます。事業は拡大の一途を辿ったものの、資金繰りは逼迫するばかり。そもそも、各営業所が勝手な基準で経理を行っていたので、本社の経理課長でさえ、会社の正確な経理状態を把握していなかったのです。危機に直面した会社は、近畿日本ツーリストとして生まれ変わります。