経済小説イチケンブログ

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『黄金峡』 - 水力発電のためのダム建設が引き起こす大騒動

便利で快適なライフスタイルの基盤のひとつに、安定的な「電力」の供給があります。火力、水力、原子力といった発電方式以外にも、太陽光、風力、水素、アンモニアバイオマス、地熱、メタンハイドレート(燃える氷)などの開発・実施の状況や可能性について論じたニュースは枚挙にいとまがありません。とはいえ、それらの電源と抱える諸問題を真っ正面から扱った経済小説は、極めて少ないと言わざるを得ません。近未来に向け、さまざまな発電方式・電源の研究・開発・実用化が進むにつれ、それらを素材にした作品もまた増えていくことを期待したいですね。今回は、水力発電地熱発電を素材にした作品を二つ選んで、紹介したいと思います。なお、2021年7月に経済産業省が公表した2030年時点の電源構成の目標値によると、再生エネルギーが36~38%、原子力が20~22%、水素・アンモニアが1%程度、火力が41%程度(内訳は、LNG火力が20%程度、石炭火力が19%程度、石油火力が2%程度)とされています。以前の値と比較すると、火力の比率が大きく低下したこと、火力を除いた「脱炭素電源」が6割になっていることを指摘することができます。そうした目標値の実現には、高いハードルがあることもまた、大方の予想と言わざるをえませんが。今後の電源構成を考える場合の基礎的な数値となりますので、記しておきます。

「発電方式を扱った作品」の第一弾は、水力発電のためのダム建設が引き起こす大騒動を描いた城山三郎『黄金峡』(読売新聞社、1997年)。古くて新しい再生エネルギーである水力発電は、現在、日本の電気の1割を占めています。太陽光や風力といった安定しない発電の調整用として使い勝手がよく、一度建設してしまえば、燃料費もかけずに発電できるのが大きな強みです。しかし、これまでの歴史が示しているように、ダム建設には、大きな痛みを伴います。それは、ダムによって、広い地域が水没し、そこに住んでいる住民たちの生活を根底から揺り動かしてしまうことです。本書の舞台は、東北・会津の奥深い山峡。時代は高度成長期。描かれるのは、水力発電のためのダム建設によって水没を余儀なくされる住民たちの補償金に対する期待と不安、さらには心の揺れやその変化の様子です。佐高信が監修・解説を行ったシリーズ「戦後ニッポンを読む」の一冊としても刊行されています。

 

[おもしろさ] 「お金の洗礼」で激変する住民たち

本書の魅力は、「金を使うことを知らぬ生活」をしていた人々が巨大ダム建設に伴い「お金の洗礼」を受け、生活を激変させていくという過程と、その先にあるものを見事に浮き彫りにした点にあります。一般には、ダムが建設されると、何千人かの工事人夫がやって来ます。地元に巨額の補償金が落ちます。地元の期待は高まるばかりです。しかし、補償金とは、ダムによって水没する、先祖代々の家や土地に対する代償。事はそう単純ではありません。先祖代々の土地を沈めてはならない、生まれ故郷を失いたくないということで、絶対反対とする者から、反対する方が多くのお金を取れると思って反対を叫ぶ者、内心では賛成なのですが、正面切っては口に出せず、静観を決めている者など、立場はいろいろです。一方、ダム建設を進める日本発電公社・ダム事務所の方は、どうでしょうか。最終的には、土地収用法があり、無理にでも追い出すことはできるとはいえ、できる限り話し合いで穏便に解決したいと考えています。ダム建設事務所長の織元は、言います。「これも、一つの戦争だ。むり押しすれば、犠牲も大きい。ゆっくり、いろんな術を使ってやるんだ……。結局は熱意だ。どうしても移ってほしいということを、腹の底まで納得させることだ。その間、あせってもだめ、手を抜いてもだめ。その上で、朝に一城を抜き、夕に一塁を屠る。これあるのみだ」と。住民側とダム建設事務所側との対立・駆け引きもまた、読みどころです。

 

[あらすじ] なにが失われ、なにが残されるのか? 

日本発電公社の社員・若松静雄は、東京から会津の山間にある物見村のダム事務所に転勤となりました。そこは物見川流域にあり、平家の末裔たちが住んでいます。彼にとって、物見村戸倉は、かつて学童疎開で2年間住んだことがあるところ。その地で目の当たりにした自然の恵みは、いまでも若松にとっては、心の慰めであり続けていたのです。ダム建設の推進者として舞い戻った若松。一方で、村が水没することには、複雑な思いを持っていたのです。しかし、赴任途中のバスの中で乗り合わせた知り合いから、ダム建設を見込んだ景気のいい話ばかりを聞かされることに。工事目当てに旅館を作った。外に出ていた村の出身者が続々帰郷している。「水没絶対反対を唱えているのも、よくお金がとれるから」。「何十億ちゅう補償金をもらった連中が、早晩、物見でのめや、うたえだ」。「こんなとき、金に眼のくらまぬ奴こそ、どうかしてるんだ」……。ダム建設を通して、なにが失われ、なにが残されるのでしょうか?