どの家庭でも日常的に行われている家事。内容としては、買物、炊事、掃除、洗濯といったベーシックなものから、家計の管理、育児、家族の健康管理、冠婚葬祭のつきあい、さらには高齢者のケアや資産運用に至るまで、非常に広範囲なものとなっています。かつては、主に専業主婦が担うケースが多かったのですが、いまやその形は大きく変化しています。すべての家事を専業主婦が一人でやるという時代は、すでに終わっているように思われます。例えば、家事を家族内で分担する。電気製品で肩代わりする。家事代行業者に依頼する。家政婦を雇う……。家庭ごとに多様なヴァリエーションがあるように思います。背景には、核家族が基本になっていること、一人だけの収入では、家計が維持できなくなっていること、共働きが一般化したこと、家事代行をビジネスとして展開する業者が増えていること、一人暮らしがかなりの比率を占めるようになっていることなどを挙げることができます。今回は、家事をテ-マにした作品を二つ紹介したいと思います。
「家事を扱った作品」の第一弾は、朱野帰子『対岸の家事』(講談社文庫、2021年)。「小学校の7割、8割の子供のお母さんが働いている」。そうした昨今の時代状況のなか、少なくなった専業主婦の悩み・辛さ・楽しみと、家庭内で家事をどのように担っていくのかという課題がリアルな言葉で語られています。家事のうち育児については、家族単位ではなく、地域の知り合い・仲間を含めた集団をベースにした協力・助け合いという新しい形があり得るかもしれない。そんな気にさせられた作品でした。
[おもしろさ] どの家庭にもいろいろな悩み事が
家事の多くをだれが行うのかについて、本書では、主に三つのパターンが挙げられています。一つ目は専業主婦が行う村上詩穂のケース、二つ目はワーキングウーマンが家事も行う長野礼子のケース、三つ目は「専業主夫」が行う中谷達也のケースです。まず、自ら専業主婦の道を選んだ村上詩穂27歳の場合、夫の収入だけで節約生活を余儀なくされてはいるものの、なんとかやり繰りしながら毎日を過ごしています。最大の悩みは、話をする相手がまったくおらず、孤独に苛まれていること。「話がしたい。何でもいい。晩ご飯は何にするつもりだとか、いい柔軟剤はないかとか、他愛もない会話をする相手が欲しかった」。次に、彼女の隣に住んでいるワーキングマザーの長野礼子は、会社で激務をこなしながらも、3歳の息子と生後半年の娘を抱え、超多忙な生活を送っています。イベント会社で働いている夫が家事をまったくしないので、風邪を引いても会社を休むことができません。心身ともに、ほとんど破たん寸前の状態にあります。最後に、近所に住んでいる中谷達也30歳は主夫です。外資系企業に勤める妻の樹里に代わって、1歳になる娘のために2年間の産休を取っているエリート公務員です。表面上は、家事も育児もスマートにこなしているように見えます。が、実際には、口で正論を吐くばかりで、融通が利かない男と言わざるを得ません。物語では、詩穂の心中の描写が軸となり、周りの人間たちもまた、それぞれに固有の悩み・問題を抱えながら生きていることが浮き彫りにされています。「何もかもが嫌になり、誰か助けて」と、たとえそれぞれが心の中では叫んでいたとしても、周りに伝わっていかないというもどかしさも指摘されています。
[あらすじ]「専業主婦はもはや絶滅危惧種」
家族のために専業で家事をすることを仕事として選んだ村上詩穂。居酒屋に勤める夫の寅朗が帰宅するのはいつも深夜。ゆっくり話す時間がありません。2年前に、ママ友を見つけようと参加した児童支援センターの乳児向けの親子教室。そこにいたママたちはみんな育児休暇中のワーキングマザーばかりでした。専業主婦は一人もいなかったのです。そんな彼女に、周りの女性たちのあからさまな陰口が耳に届きます。「専業主婦はもはや絶滅危惧種」。「家事なんて、いい家電があれば仕事の片手間にできる」。それから2年たっても、状況は変わりません。2歳の娘・苺と二人だけで過ごす、同じような毎日。自分の選択が正しかったのか。悩む詩穂。しかし、上述の長野礼子や中谷達也と言った人たちと交流を深めるなか、性別や立場が異なっていても、それぞれが厳しい現実と向き合っていることを知るようになります。そして、自分の家庭だけではなく、周りの人たちになにかできないかを考え始めます。