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『ピアノマン』 - ジャズピアニストの苦悩のかなたにあるもの! 

エリーゼのために』という曲のよく知られた冒頭。ほんの一節ですが、学生時代の一時期、ピアノで音を出せたことがあります。とてもうれしく思った。そんな記憶があります。それ以来、ピアノに触れる機会はなく、聴くこともほとんどありません。ただ、何年か前、あるピアニストの演奏に、ピアノの「美しさ」・「激しさ」に出会えたように感じたことがあります。そしていま、今度は活字を通して、ピアノという楽器の持っている魅力を再発見できたように思わされる作品にたどり着きました。今回は、私のような門外漢でも、ピアノの「美しさ」と「激しさ」に魅了され、心に衝撃が走ることになる『ピアノマン』と、演奏者を陰で支えるピアノ調律師の姿を描いた『羊と鋼の森』という二つの作品を紹介したいと思います。

「ピアノを扱った作品」の第一弾は、南波永人『ピアノマン BLUE GIANT 雪祈の物語』(小学館、2023年)。「言葉を覚えるよりも先に音を覚えた」沢辺雪祈。ジャズの魅力に取りつかれた彼は、サックスプレイヤーの宮本大およびドラマーの玉田俊二とともにトリオ「JASS(ジャス)」を結成。10代のうちに、日本一のジャズクラブ「ソーブルー」での単独公演をめざすという困難な目標を掲げて邁進! 本書は、雪祈を軸に据えることで、同じ素材を扱った漫画や映画では描かれなかった『BLUE GIANT』の新局面にスポットライトが当てられています。ところで、『BLUE GIANT』と言えば、まずは漫画の『BLUE GIANT』(著者・石塚真一)のシリーズを思い浮かべる方が多いことでしょう。それは、『ビッグコミック』に連載された三つのセクションから構成されています。2013年10号から16年17号まで連載されたのが第一部。16年18号から20年9号まで連載されたのが、第二部の『BLUE GIANT SUPREME』。20年11号から23年10号まで連載されたのが、第三部の『BLUE GIANT EXPLORER』です。また、映画作品としても、23年2月17日に公開された『BLUE GIANT』があります。

 

[おもしろさ] ジャズの一般的なイメージとは異なって! 

街のあちこちで、BGMとして流されているジャズ。それは、思考を邪魔しない心地よい音楽として、いつも静かに存在しています。ところが、本当のジャズは非常に激しいもの! 一般の人は、自由で破壊的で新しく、世界中で進化していることをあまり知りません。そうしたジャズの醍醐味を作り上げるには、あたかも「内臓をひっくり返すぐらい自分をさらけだす」覚悟が、ジャズプレイヤーには求められるのです。本書の魅力は、文字というツールを使い、美しくて激しいジャズの到達点を読者に訴えかけている点にあります。登場するライブシーンは、臨場感たっぷり。刺激的です。あたかも演奏されている場にいるように感じさせられることでしょう。

 

[あらすじ] 雪祈の生い立ちと大や玉田と出会うまで

自宅でピアノ教室を開いていた母親・沢辺佳子。その影響で、赤ん坊の頃から音感に優れ、音を「色」として感じていた雪祈。3歳でピアノの指導を受けることに。中学生になったとき、母が「東京で一番いいジャズクラブ・ソーブルー」に行こうと提案。ジャズは合わないと思っていました。ところが、ジャズの演奏に「肌が震えた」のです。それを契機として、クラシックからジャズピアニストへと目標を変えた雪祈。ジャズにのめり込んでいきます。それからの3年間、発表会ではジャズを演奏。大人たちは、彼の演奏を褒め称えました。一方、彼の方は、ジャズ特有のリズム感を会得できず、ピアノだけでジャズの立体感を表現することやインプロビゼーション(アドリブ、即興)の難しさを痛感していました。高校生になると、松本市内で最も大きなジャズバーで初めてステージを経験。名前が売れるにつれ、松本以外のジャズフェスにも出演するようになっていきます。と同時に、「十代で、必ずソーブルーに辿り着く」という目標を明確にしていくのです。東京の大学に進学した雪祈は、ジャズ研をのぞくも、そこには「自分が求めているものはない」と判断。百貨店の靴売り場でアルバイトをしながら、ジャズバーなどに顔を出し、組むべき相手を探します。やがて、宮本大という同じ18歳のサックス奏者と遭遇。初めて聴く大のサックス。低音が腹に響いたかと思うと、一瞬で腸にまで届く音量に上がった。高音にシフトするや、一気に一瞬で駆け上がっていく。頭をつかまれ、超高速で螺旋階段を引っ張り上げられていく感覚。そこは、「快感と恐怖が入り混じる」世界だったのです。さらに、大が、友人の大学生・玉田俊二をドラマーに推薦。こうして、三人のメンバーが揃いました。ところが、驚いたことに、玉田はドラムの経験がまったくないド素人だったのです。どうする雪祈?