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『左遷』 - 中間管理職の悲哀が浮き彫りに

業績を上げたり、貢献したりする人は、報酬の引き上げや昇格・出世という形で報われる。逆に、大きなミスや失敗で、業績を悪化させた人には、降格や左遷などが待ち受けていることも。どちらも、会社員にとっては、ごく普通の出来事。ところが、一生懸命頑張り、当初の目標を達成したにもかかわらず、また、落ち度がなかったにもかかわらず、明確な理由が示されないまま、左遷・降格の対象になることがないわけではありません。平社員なら、労働組合が守ってくれることもありますが、中間管理職になると、だれも守ってくれません。そこに、酷使やしわ寄せの対象になってしまう下地があるのかもしれません。しかも、年齢は四十歳前後で、責任感も強いとなると、一層過酷な心理状態を余儀なくされることに。今回は、左遷・降格を扱った作品を四つ紹介したいと思います。

「左遷・降格を扱った作品」の第一弾は、咲村観『左遷』(徳間文庫、1981年)。新本社ビルの建設に全精力を注入し、見事に目標を達成させた東洋通運開発部の課長・杉本啓介。にもかかわらず、待っていたのは、降格・左遷でした。理由として考えられるのは、オイルショックに伴う建設費の高騰。果たして、彼はその犠牲者なのか、それとも……。巨大ビルの建設という視点から「オイル・ショックの経済活動への影響」を克明に描き出した経済小説の「古典的名著」と言えるでしょう。オイル・ショックという時代性をキャンバスに見立てて、中間管理職の悲哀が見事に浮き彫りにされています。初刊本は、1977年に筑摩書房から刊行。 著者のデビュー作。

 

[おもしろさ] 「オイル・ショックの経済活動への影響」

読みどころが多い作品です。特に注目したいのは、以下の三点。①オイル・ショックに伴って生じた資材等の高騰という予期せぬ出来事」の費用負担を施主と施工業者との間で、どのように負担するのか。その駆け引きが実におもしろいのです。②杉本課長の左遷理由は、建設費の異常な高騰なのか、それとも営業部門と管理部門との利害対立を背景にした会社内部の権力争い、社長や重役たちの采配ミス・メンツの犠牲者なのか? ③重役たちの間で展開される論戦も、なかなかの出来栄えです。交渉や論戦に際して、ここで使われた言葉や言い回しは、きっと実際の商談にも役立つように思えるほどなのです。

 

い[あらすじ] 「予期せぬ出来事」にもなんとか対処していく! /h4>

主人公の杉本啓介は、大阪に本社を有する東洋通運・開発部の課長(のちに次長に昇進)。彼は、地上30階、地下4階という新本社ビルの建設に全力投球します。起工式が行われたのが1970年8月。総工費350億円、工事期間4年余というのが、当初の計画でした。工事が始まると、地下障害物による工程の遅れ、地下出水事故、地盤沈下など、さまざまな事態が生じます。いずれも想定内とも言いうるものでした。ところが、オイル・ショックが事態を急変させます。資材の値上がりと入手難が徐々に深刻になっていったのです。関係者にゆとりのある穏やかな雰囲気が失われていきます。そして、「著しい経済事情の変動」という特殊な理由による資材売買契約の破棄、工事費増額要求などをめぐって、施工業者、資材調達を介在する総合商社、施主の利害を代弁する啓介との三者間で、激烈なバトルが始めることに。加えて、工期の遅れが賃貸料収入を取り始める時期を遅らせ、建設費の高騰が賃貸料の引き上げとなってテナントの確保に悪影響を与えることから、営業部サイドからは激しい突き上げが! 次から次へと引き起こされる難問。ますます重みを増していく将来に対する不安感。啓介は、自分の責任の遂行と会社の利益の確保のため、獅子奮迅します。「工期の遅れの防止という、自分に課せられた責務だけは果たさなければならない」。こうして、61億5000万円という工事費の増額による負担増やテナント確保の予想外の難航を伴ったとはいえ、本社ビルは、ほぼ予定の時期に完成。本来ならば、十分な働きをしたわけなので、部長への昇進という形で報われると思う人が多いかもしれません。しかし、「真面目で生一本」の啓介を待っていたのは、課長への降格と青森支店への異動、つまるところ左遷だったのです。