「築地市場を扱った作品」の第二弾は、原宏一『ヤッさん』(双葉文庫、2012年)。主人公のヤッさんは、築地市場と料理店を行き来し、料亭でもホテルでも厚遇される不思議なホームレス。築地と料亭・レストラン・ホテルなどの料理人を結びつける優れたコーディネーターなのである。ヤッさんと弟子のタカオの師弟コンビが引き起こする痛快ユーモア小説。ヤッさんシリーズ(全六作品)の第一作。
[おもしろさ] 築地の豊洲への移転問題に対するヤッさんの見解
築地市場と顧客の間の情報をコーディネートするヤッさん。「うめえもんを食いてえやつとうめえもんを食わせてやりてえやつを縁の下で支えている」役割を果たしています。だから、ホームレスと言っても、堅気の方々に不快感を与えるようなことは一切しないのです。異臭を発することなど、もってのほか。髪も体も、毎日きれいに洗い、着ている物の洗濯も欠かしません。しかも、健康保険も医療保険もない体力勝負の世界。筋トレをはじめ、身体を鍛えることに余念がありません。そんなホームレスのプライドを示すエピソードをはじめ、一流の味をめざそうとする料理人の世界、築地の豊洲への移転問題に対するヤッさんの考え方、旨い料理に対するこだわりを忘れ、虚業に終わってしまうかもしれない料理店への戒め、現場を知らないグルメ評論家に対する鋭い批判など、興味深いエピソード満載の作品です。
[あらすじ] 築地の魅力を最大限引き出すヤッさんの存在意義
築地の場内を歩くと、声を掛けられ、味見を勧められるヤッさん。繊細な味まで判断できる舌の力は超一流。良質な素材を欲しがっている販売先をアドヴァイスすることをはじめ、厨房に詰めっきりになりがちな料理人と河岸の間の生きの良い情報の交換を請け負っているのです。ときには、料理人を叱ったりすることも。魚河岸の人間と料理人は双方が商売相手。それぞれに利害関係のないがゆえに、彼は、市場と調理場を結ぶ格好のコーディネーターになれるわけです。欠品しかけた食材をほかから融通してもらったり、仕入れすぎた食材を他店に引き取ってもらったり、窮地を救ってもらった料理人や仲買人は数知れません。馴染みの店は、銀座だけでも二百や三百はあるのです。ほかの街も合せると、千や二千にも。勝手口を見るだけで、その店のすべてが分かってしまうのです。食・料理に興味がある人には、おもしろくて、食の理解にも役立つ話が六つ収録されています。