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『蔦屋』 - 江戸時代に新企画の発掘に挑み続けた出版人

「はじめて物語」の第三弾は、谷津矢車『蔦屋』(学研パブリッシング、2014年)です。今年のNHK大河ドラマは、『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。横浜流星さん演じる主人公・蔦屋重三郎は、江戸時代の出版人。芸術家・作家の才能を発掘した「プロデューサー」であり、「メディア王」とでも言えるような存在でした。ちなみに、現代のTSUTAYA創業者である増田宗昭は、蔦重にあやかって、蔦屋書店と名付けたと言われています。本書は、吉原から本屋・出版業界に参入し、次から次へと新しい企画を実現させ、江戸の人々に楽しみと刺激を与え続けた、蔦重の型破りなビジネス感覚・商人魂像が描かれています。

 

[おもしろさ] 吉原であればこそ生まれた独特な人間関係

本書のおもしろさは、なんといっても、出版界に新風を巻き起こしたいという蔦重の野望・思いが実現されていくプロセスの描写にあります。「狂歌集に絵師の絵を入れ彩にする」という挿絵の導入からスタートした蔦重のアイデアとビジネス。それがどのように進化していくのか、読み応え満点の作品と言えるでしょう。そうした企画の数々を生み出すことができたのが吉原という舞台装置であったことも、注目に値するところ。吉原は確かに歓楽街。と同時に、戯作者、絵師、狂歌師といった文化人の待ち合わせ場所であり、大商人や武士たちの社交の場、意見交換の場でもあったのです。そこでは、普段巡り合うことのないさまざまな人間と出会うことができたわけです。

 

[あらすじ] 金儲けじゃない! 新しいものがつくりたい! 

日本橋にある老舗、豊仙堂の主人・丸屋小兵衛。「本屋業界にこの人ありとまで謳われ……、学者向きの本ではなく、戯作や錦絵を扱う地本問屋」でした。以前は、戯作の表紙はというともっぱら白黒だったのを、小兵衛が「紅刷りの技法」を考案。多色刷りで本を制作したのです。しかし、かつての栄華はなく、家運は傾いていました。小兵衛自身も、「もうこれでいい」と、店を売りに出そうと考えていた矢先でした。そんな小兵衛のもとにやってきたのが、吉原にある本屋「耕書堂」の主人・蔦屋重三郎。彼は、言います。「わたしの仕事を手伝ってください」と。かくして、天明3年、吉原の本屋・蔦屋重三郎は、日本橋の豊仙堂を買い取り、吉原からの脱却を図ったのです。ところが、小兵衛が耕書堂の傘下に入ったものの、重三郎には、日本橋の店を再開する様子がまったくありません。それどころか、連日のように小兵衛を吉原に連れて行き、寝惚とか六樹とかいう、ただ酒目当ての客人たちと一緒に「バカ騒ぎ」を楽しんでいました。ところが、そうした客人たちとの付き合いは、次のビジネスにとっては必要不可欠な条件整備の一環だったのです! 「小兵衛さん、あたしァ金儲けがしたいわけじゃない。新しいものがつくりたい。吉原から江戸を驚かせたい。それだけの気持ちなんですよ」。蔦重の思いが集約されているセリフと言えるでしょう!