「商社マンを扱った作品」の第五弾は、浅田次郎『ブラック オア ホワイト』(新潮社、2015年)。祖父や父と同じ商社に勤務した都築栄一郎もすでに現役を引退し、社会的に隠遁した身。悔悟でも未練でもグチでもなく、「実現できなかった人生の一部」を「夢物語」として学生時代の友人に語っていきます。スイス、パラオ、インド(ジャイプール)、中国(北京)などでの商社マンとしての経験をうかがい知ることができるでしょう。「過ぎてしまえば、何もかもが夢のよう」という言葉がとても印象的でした。
[おもしろさ] 美しい夢か、悪い夢か?
ホワイトの枕で寝ると「美しい夢」、ブラックの枕で寝ると「悪夢」をみる! そのような夢の話を通して、過ぎ去った過去や、商社マンとしての働き・喜び・苦悩などが浮き彫りにされています。人生の三分の一を費やすことになる眠り。その間にみる夢は、現実ではない「夢物語」として軽んじられるという風潮があります。でも、人々が身をゆだねるしかない現実には、「夢よりもずっといいかげん」なところがあります。本書のユニークなところは、夢の形で、「ありえたかもしれないもうひとつの現実」を描き出しているのかもしれません。
[あらすじ] 他人には羨ましい人生だと思われていても……
戦前は、従業員総数40万人の大コングロマリットであった南満州鉄道(満鉄)。その経営委員・理事であった、都築栄一郎の祖父は、公職追放が解除されたあと、鳴り物入りで日本有数の商社に迎え入れられます。役員となった彼は、有能な部下であった父を婿養子に。そして、父の肝いりで入社した栄一郎はというと、商社マンとして働いたあと、景気の絶頂期に家屋敷を売却し、いまは会社も辞めて悠々自適の日々を過ごしています。「おそらく考えつく限り最高の人生じゃないか」と、羨まれているかもしれません。でも、彼にとっては、その人生も人々が経験する、無限とも言いえるさまざまな「人生の諸相」のひとつでしかありません。そんな栄一郎が、学生時代の友人に対して、「現実と同じくらい重要な体験」である「夢の話」を語っていきます。始まりは、まだ30代の若造だった頃。ロンドン勤務3年目に経験した、スイスでビジネス上のミスをすることになります……。