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『スポーツドクター』 - アスリートの悩み・葛藤に寄り添うお仕事

「お仕事いろいろ」というテーマで紹介される作品の第四弾は、松樹剛史『スポーツドクター』(集英社文庫、2005年)。「スポーツが人間にもたらす財産は、元気・感動・仲間・成長だ。これにより人は自分らしく生きることができる。これがスポーツの功だ!」(解説者・辻秀一)。しかし、スポーツには、「罪の部分」「ネガティブな要素」がつきまとうことも否定できません。例えば、ケガ、指導者や親の価値観の押し付け、勝利至上主義、セクハラなどを挙げることができるでしょう。この作品は、そうしたスポーツの「ネガティブな部分」に焦点を合わせ、当事者(アスリート)の苦悩・葛藤と、それらに立ち向かうスポーツドクターの姿勢・考え方が描かれています。

 

[おもしろさ] スポーツや身体に関する正確な知識が欠けている

本書の第一の魅力は、なんと言っても、スポーツドクターという仕事の極意を浮き彫りにすることにあります。彼らは、スポーツを楽しんだり、極めようとしたりしている人たちが抱えている悩みや課題に対して真正面から向き合い方をアドバイスできる人たちなのです。そして、第二の魅力は、当事者たちが身体の構造について正確な知識や情報をほとんど持ち合わせていないという現実、正しいトレーニング方法や練習場の条件などを知らないまま、ただやみくもに頑張っているという学校スポーツの実情、老人にはスポーツは危険であるという誤った考え方が流布していること等、スポーツを取り巻くさまざまな問題にも踏み込んだ叙述にあります。

 

[あらすじ] 四人の登場人物が置かれたそれぞれの事情

物語には、①膝の前十字靭帯の損傷に悩まされる岡島夏希(高校三年生でバスケット部の主将をしている。のちにスポーツクリニックで受付として働くことに)、②野球肘を抱える中学生の増田勝(リトルリーグでピッチャーをやっている)、摂食障害の水泳選手・鵜飼真沙子(日本代表としてアジア大会の候補となるほどだが、タイムが落ちている)、ドーピングで悩む水泳選手・松浦久代(アジア大会に出場すると、ドーピングが発覚する)の四人が登場。彼らの悩み・葛藤の実情、おかれた環境、周囲の人たちとの関係などはすべて異なっています。しかし、スポーツクリニックを開業しているスポーツドクターの靱矢登のアドバイスは、それぞれに寄り添うもの。悩み自体の治療や改善策の提示だけにとどまりません。ケガや悩みの根源とも関わる、当事者の置かれている環境や人間関係にまで踏み込んだ現実的なアドバイスを行います。さらには、クリニックをフィットネスジム・ヤマナと提携することで、「心と身体を健康にする」という目的に向けての事業展開を行っています。