経済小説イチケンブログ

経済小説案内人が切り開く経済小説の世界

『向田理髪店』 - 過疎の町と将来に対する住民たちの不安

「過疎のまち・むら」というテーマで紹介される作品の第二弾は、奥田英朗『向田理髪店』(光文社文庫、2018年)。北海道の中央部にある苫沢町は、昭和30年代には人口8万人を超える日本有数の炭鉱都市でした。ところが、石炭から石油への転換が進むと、衰退が始まりました。いまでは、少子化と高齢化が顕著。将来への危惧は半端なものではありません。本書は、そんな過疎の町で起こる、ちょっとした騒動・出来事を温かいタッチで描いた6つの短編からなる連作集です。町・住民・家族の、今後に対するやりきれないさまざまな不安の実態がリアルに描き出されています。

 

[おもしろさ] たとえ将来への見通しが見通せないにせよ… …

若者たちは出て行き、町に残されるのは、高齢者ばかり。当然のことながら、経済活動は停滞し、将来への展望を開くことは相当難しいように考えられています。それでも、新しい希望の光がないわけではありません。例えば、苫沢町には、総務省のエリート役人-30代半ばで、見るからに熱血タイプ-が助役として出向し、町の再建に力を尽くしています。地元民との交流に積極的で、青年団の相談役にもなっています。バラバラに住んでいる人々を特定の地域に集中して住むように変えていく「ダウンサイジング」構想にも熱心です。そのような動きがあるわけですが、本書のスタンスは、町の再生・活性化について全面的に取り上げるというものではありません。むしろ、たとえ厳しい状況下にあっても、また将来への見通しが見通せないにせよ、泣いたり、笑ったりしながら、なんとか毎日を過ごさざるを得ない住民たちの心の動き・揺れを描き出している点にあるように思われます。

 

[あらすじ] 苫沢で床屋を継いでどうなる? 

第1話「向田理髪店」の店主・向田康彦53歳は、ごく平凡な理容師。札幌で広告会社に勤務。28歳のときに父から引き継ぎ、四半世紀にわたって妻の恭子と一緒に理髪店を営んでいます。25歳の長女・美奈は東京のアパレル会社、23歳の長男・和昌は札幌の商事会社で働いています。康彦は、理髪店は将来性がないので、自分の代で終わらせるつもりでいました。ところが、息子の和昌が突然、苫沢に帰ってきて、散髪屋を継ぎたいと言い始めたのです。「地元をなんとかしたい」という思いに駆られた彼は言います。「従来通りの散髪屋でやっていこうとするから、先が見えねえわけだべさ。… …ただの散髪屋にするつもりはないよ。俺の計画はね、店を建て増しして同じ空間にカフェを造るわけ……。町民の憩いの場にしてもらって、新しい客を取り込むわけさ」。幼馴染の谷口修一は、心配ばかりの康彦に対して、「いいんじゃないかい。跡継ぎが出来たんだもん。やっちゃん。オメは何を贅沢言ってる」と。「しかしなあ、シュウちゃん。苫沢で床屋を継いでどうなる? 新しい客を呼び寄せるとか、なんか夢みていなこと言ってっけど、若いモンがみんな出て行く中で、どうやって新規開拓するべや。そもそも人がいねえんだ」……。この話以外にも、夏祭り、中国からの花嫁、小さなスナック、映画のロケ隊、同町出身の若者が犯した事件などを通して、住民たちの人間模様や心の内が解き明かされていきます。