「医師」を扱った作品の第五弾は、夏川草介『臨床の砦』(小学館、2021年)です。日本のみならず、世界中を不安と恐怖の渦に巻き込んだ新型コロナウイルス。発生したのは2019年。20年以降、世界中に拡大し、やがてパンデミック(世界的大流行)がもたらされました。当初、ウイルスの特性や治療方法がよくわからないこともあって、多くの病院は、患者の受け入れに消極的な態度をとっていました。それに対して、本書に登場する、信州の小病院・信濃山病院は、コロナ患者の大半を受け入れました。でも、医師や看護師たちの心情は、「恐怖・おののき・使命感」などが複雑に入り交じった、「暗中模索」の対応でしかなかったようです。本書が出版されたのは、2021年4月28日のこと。コロナ禍の最前線で戦っている医療現場の人たちのホンネ、治療に向けての試行錯誤、人々のコロナに対する一般感情や偏見などが赤裸々に綴られた貴重な「歴史的資料」とも言える作品です。
[おもしろさ] 「辛いのは私たちだけではない!」
この本の特色は、二点にまとめることができます。一点目は、新型コロナウイルスへの恐怖心から、それに感染された患者たちと初めて遭遇したときの医療現場や世間の戸惑いが如実に示されていること。①呼吸器内科医がいても、患者の受け入れ拒否する病院が多かった。②風評被害や近所からの嫌がらせを恐れ、コロナの診療はだれもが秘匿したがった。二点目は、コロナ感染者が増加の一途をたどり、「緊急事態宣言」が発出され、正常な医療行為が実現できなくなる「医療崩壊」のプロセスや、危機感に駆られながらも必死に感染症と戦っている医療関係者たちの苦闘が描かれていること。「辛いのは私たちだけではない。… …自分だけが辛いと思えば、人を攻撃するようになる。自分だけが辛いのではないと思えば、踏みとどまる力が生まれる」。そのような言葉を胸に秘めながら、闘った医師たちの懸命な努力に敬意を表したいと思わざるをえません!
[あらすじ] 「何もかもが未知の領域であり、文字通り手探りの医療」
信濃山病院は、地域で唯一の感染症指定医療機関であるものの、病床数は二百床に満たず、呼吸器や感染症の専門家はいません。重症患者の治療は困難であるため、市街地にある筑摩野中央医療センターに搬送されることになっています。18年目を迎える内科医の敷島寛治の専門は消化器。しかし、常に第一線の臨床医であったことから、多くの肺炎治療にもたずさわってきています。初めて遭遇した新型コロナウイルス感染症患者。「これまでとは違う」ものを感じざるを得ませんでした。酸素状態が悪化した肺炎患者は、通常咳が出たり、痰がでたり、ぜいぜいと荒い息をしたりして、苦しいと訴えるのが一般的。ところが、コロナウイルスに感染しても、普通に歩ける患者がいたりするのです。それでいて、コロナ肺炎は、長引く人もいて、油断していると命にかかわるケースもまれではありません… …。「診療開始初期は、感染対策不明、治療法は不明、死亡率は不明、後遺症は不明という、何もかもが未知の領域であり、文字通り手探りの医療」だったのです。このようにして、新型コロナウイルスとの困難な戦いがスタートすることに。

