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『旅行屋さん』 - 日本初の旅行会社を創設した男

新年あけましておめでとうございます。 このブログをご覧になっていただいている方々にとって、2026年が良き年になることを祈念しております。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2026年元旦

 

 例年、新年最初のブログでは、モノ・サービスやビジネスの始まりを描いた「はじめて物語」の紹介を行っております。今年は、二つの「はじめて物語」を取り上げます。

 

 2026年「はじめて物語」の第一弾は、河治和香『旅行屋さん 日本初の旅行会社 日本旅行と南新助』(実業之日本社、2025年)。世界初の旅行会社は、イギリスのトーマス・クック社ですが、同社は2019年に倒産。現存する旅行会社として最古の栄誉に輝くのは、明治38年(1905年)創業の日本旅行と考えられています。それは、南新助が最初の団体旅行を催行した年です。ただ、同社には、社史(『日旅六十年史』)が著されているものの、黎明期の状況については、正確な資料で確認できるわけではないようです。その点は、明治45年(1912年)に創設された日本交通公社ジャパン・ツーリスト・ビューローとして発足。現在のJTB)とは大きく異なっています。それゆえ、本書は、南新助の生涯を描いた「伝記」ではなく、あくまでも著者の創作を多く含んだ「伝記小説」として読まれるべきもの。とはいえ、①学ぶべきものが随所にちりばめられていること、②物語の展開も興味深いこと、③彼の生き様とともに、旅行という視点からの日本近現代史の流れがよく理解できることなど、魅力がいっぱいの作品と言えるでしょう。

 

[おもしろさ] 立ちふさがる壁をどう乗り越えていくのか? 

本書のおもしろさは、なにか新しいことが始まるときに必ずと言ってもいいほど不可欠となるさまざまな要素(①潜在的な時代・人々のニーズ、②それを取り込んでビジネスにつなげて行こうとする人、③その流れに反対したり、偏見を抱いたりする人たちをも巻き込んでいくパワーなど)がひとつの物語のなかでうまく融合しながら、話が進んでいく様子が描かれている点にあります。なにかを企画すると、必ず立ちふさがる壁の数々。果たして、新助は、それらの壁をどのように乗り越えていくのでしょうか? 

 

[あらすじ] 「世話になった人」への恩返しから始まった

近江の国の草津は、東海道中山道の合流地点にある宿場町。そこに鉄道が通り、草津駅ができたのが明治22年のことです。「青花」の商売をし、大路井の若き町長だった新助の父親・南信太郎は、同家の地所を駅舎や線路に提供したことで、草津駅構内での「立売営業権」(駅弁や土産物、地元の銘菓などをホームや駅舎内で販売する権利)を獲得。その店は「南洋軒」と名付けられました。他方、新助に大きな影響を与えた人物として、信太郎の良き相談相手であった木村熊次郎の存在があります。進取の気性に富んだ彼は、新助に言います。「世の中も、人もどんどん変わっていくで。昨日と同じことをしてたら、今日と同じような明日しか来いへんのやで」。ロシアのニコライ皇太子の暗殺未遂事件が縁となり、「キムラのステッキ」と称された竹製のステッキをヨーロッパに普及させることとなった木村熊次郎の経済力は、「新助を生涯にわたって支えていく」ことになるのです(ちなみに、新助の妻・貞は、熊次郎の娘でした)。16歳で東京外村私塾商業科に入学した新助は、熊次郎から差し入れられた「軍資金」で見聞を拡大。できる限り神社仏閣をめぐってみようと考え、実行に移しました。そして、開通した鉄道が参拝や行楽のための人の移動を大いに高めていることを実感。3年後、学校を卒業したあと、新助は、さらに各地を巡り、すっかり旅に慣れた若者になって、草津に戻ってきました。すると、熊次郎は、「冥途の土産に生まれて初めて汽車に乗ってお伊勢参りに行きたい」ので、連れて行ってほしいと懇願されることに。かくして新助が「お世話をする」こととなった伊勢参拝旅行。あくまでも、お世話になった人々に対する恩が原動力だったのですが、のちに「日本で最初の団体旅行」と言われるようになります。「本人たちはまったく無自覚のまま、日本の団体旅行の歴史はここにはじまった」のです。何回かの試行のあと、「わしは旅行のお世話を商売にしてみようかと思うんやけど」「… …そんな商売が成り立つやろか……」といったやり取りを経て、新助が始めた「旅行屋さん」の稼業。徐々に人々の間に浸透していきます。そして、日本旅行会という会社名とともに、「旅館(温泉)と車中泊、あたたかい飯と弁当、団体行動と自由行動」が巧みにバランスよく配された団体旅行の原型がつくりあげられていったのです。