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『就活ザムライの大誤算』 - 「選ぶことの辛さ」と「選べることのありがたさ」

大学で教鞭をとっていた頃、数多くの学生たちと話をしました。彼らの一番の悩み事といえば、やはり就職活動と関係するものでした。確かに、何千何万もの職業のなかから自分の道を選ぶのは、けっして簡単なことではありません。学生たちの多くは、「選ぶことの辛さ」に直面し、悩み苦しみます。しかも、仕事選びの悩みは、就職先が確定したからといって、それで解放されるわけではありません。働き始めてからも、悩みは続きです。そこで提案したいのは、歴史というフィルターを通してこの問題を考えるということです。人類の歴史はおよそ700万年。その99.9%は狩猟採集時代でした。職業という概念は存在していません。自分の意思で仕事を選ぶという行いなど、「夢のまた夢」だったのです。人類が職業選択の自由を獲得したのは、近代社会が成立し、職業が多様化するようになってからのことです。こうして、ごく普通の人間でも、自由に自分の仕事を選べるようになったわけです。「選ぶことの辛さ」ばかりに目を向けていると、間違いなくとてもしんどくなってしまいます。しかし、歴史的に見ると、「選べることのありがたさ」にもまた気づかされるのではないでしょうか! 今回は、仕事選び・職探しをテーマにした作品を三回に分けて紹介したいと思います。

 

「職探しを扱った作品」の第一弾は、大学生の就活を描いた安藤祐介『就活ザムライの大誤算』(光文社、2021年)です。内定という「勝利」をめざして全精力を費やする大学生の言動・苦悩を通して、就職活動のあり方・やり方を考えさせてくれます。いろいろなキャラクターの学生たちがそれぞれに合致した進路を見つけ出していく過程が描かれており、就活中の学生には大いに活用できる内容に仕上げられています。

 

[おもしろさ] ほとんど読み人の共感を得ることが難しい学生

 本書のおもしろさは、読み人の共感を得ることが非常に難しいものの、なぜか応援したくなってしまう大学生・蜂矢徹郎の考え方・キャラクターの描写にあります。また、同世代だけでは道筋が見出しにくい難問でも、人生経験の豊富な年配者である「ゼミの指導教員」や、同居を余儀なくされた「謎のおじさん」の適切な助言を通じて、「メンター」の大切さにも言及されています。

 

[あらすじ] 常時スーツを着用し、同級生との会話もすべて敬語で

安政大学総合文化部三年生・蜂矢徹郎の講義ノート。簡潔な箇条書きにまとめられ、試験に出るポイントまでもが付されています。誰が見ても理解しやすい構成になっているのです。それは「てっちゃんノート」と呼ばれ、多くの学生たちの一夜漬けのテスト勉強に役立てられています。とはいえ、そうした他者への配慮は、徹郎自らの心の内の親切心から発したものではありません。あくまでも、自己PRの材料のひとつとして使うためなのです。そもそも、ノートを広めたり、学生向けに試験対策決起集会を企画したりしたのは、同級生・浜本夏海。徹郎は、惚れた弱みか、徹郎を褒めてくれる唯一の人物でもある彼女の要望にノーということができないのです。このように紹介すると、いかにも好感度の高い徹郎像が浮上するかもしれません。ところが、「就活侍」と呼ばれる実際の徹郎は、内定のためならなんでもするという「いけ好かない人物」なのです。起きているときはもちろんのこと、寝ているときもスーツを着ている。同級生に対しても敬語を使う。就活と関係のない行為はすべて無駄と考えている。ライバルになる可能性のある人物の就活に対する妨害には躊躇しない……。そんな「危うい人間」徹郎を待ち受けているリアルな就活活動とは?