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『菜の花工房の書籍修復家』 - 子ども頃の夢を実現させる! 

とても便利な電子書籍。保管するのに、空間的な場所を必要としません。読みたいときに、読みたい本を読むことができます。でも、紙の本にも大きな良さがあります。私にとっては、手軽に、かつ自由に書き込みができたり、付箋を貼ったり、常に目に見えるところに置けたりできるのが、紙の本の長所になっています。研究者としては、古い文献の頁をペーパーナイフで切りながら、読み進めていくこともまた、ささやかな「楽しみ」でした。とはいえ、紙なので、経年劣化は避けられません。傷がついたり、破損したりすることも。また、古くなると、バラバラにもなりえます。それゆえ、何百年も前に出された書物などにとっては、書籍の修復が不可欠なものになっています。そんなとき頼りになるのが、書籍修復家です。他方、世の中に一冊だけしか存在しない本を求めるニーズもあるようです。どんな思いで、オーダーメイドの本を作ろうとするのでしょうか? 今回は、書籍修復と製本という「紙の本に関わる工房」を扱った二つの作品を紹介します。

「紙の本に関わる工房を扱った作品」の第一弾は、日野祐希『菜の花工房の書籍修復家 大切な本と想い出、修復します』(宝島社文庫、2019年)。「書籍修復家になりたい」。子どもの頃に思い描いた夢を追い求める三峰菜月。菜の花工房を主宰する豊崎俊彦のもとで、一人前の職人への道を歩み始めます。子どものときの夢を大人になってからの職業につなげていくことのむずかしさ、それを実現しようとするときにありうるプロセスが描かれています。

 

[おもしろさ] 「打算・見栄」を乗り越えた先に

本書の魅力は二点です。一つ目は、ページ破れや抜け落ちページから始まって、和装本に至るまで、修復する際の具体的な手順・段取りが詳しく紹介されていること。二つ目は、人が一生関わる職業を選択するときに、なにが一番大切なのかを気づかせてくれること。当初、菜月が書籍修復家という職業に憧れたのは、あとで考えれば、「打算・見栄」が先行したためでした。「誰に聞かれても、胸を張って自分のやりたいことだと答えられる。誰かに引け目を感じなくていい」「聞こえが良い『職人』という道に飛びついただけ」だったのかもしれません。そのことを認識し、見つめ直して初めて、心の底から向き合い、書籍修復家としての奥の深い道を切り開いていくことができるようになったのです。

 

[あらすじ] それはまるで「魔法使い」のようでした! 

事の発端は、小学1年生の夏休み。毎日手に取り読んでいた「宝物」でもある一冊の絵本がバラバラに壊れてしまったのです。浜名市の市立図書館に持参し、貸出カウンターで「この本、なおしてください!」と言う菜月。「……はい?」と困惑する様子の司書さん。「あの……。ごめんなさいね。図書館では、あなたの本を直してあげられないの」。まさか断られるとは思わなかった幼い菜月は、頭のなかが真っ白に。そんなとき、偶然、用事で図書館に来ていたおじいさん(豊崎俊彦)が、「儂が直してやろうと」と言ってくれたのです。そのとき、おじいさんは、菜月には、奇跡を起こしてくれる「優しい魔法使い」として映ったのです。「私も、魔法みたい本を直せるようになりたい」。憧れにも似た、小さな「夢」が生まれました。年月が経過し、高校3年生になった菜月。進路のことで悩みます。もう分別がつく年齢なので、書籍修復家になるという夢を追うことがいかに大変なのかは理解しています。母も大反対。でも、ボランティア活動をしている市立図書館で、かつて「魔法使い」と出会うきっかけとなった司書の渡辺さんに自分の夢を打ち明けます。すると、本の修復を体験できる、図書館主催の講座を紹介してくれたのです。講師としてそれを担当する書籍修復家の豊崎俊彦と再会した菜月。「私……決めた」。俊彦に「弟子にしてください」と懇願します。「儂は弟子を取るつもりはない」と拒否。が、諦めきれない彼女は、何度も懇願。期限付きではあるものの、ついに彼の工房で、書籍修復の基礎を学び始めることに。そして、図書館の本、和装本を扱った書籍の修復、子どもたち向けの和装本作りの体験会などを通して、書籍修復業の世界に入り込んでいきます。