「新聞記者を扱った作品」の第三弾は、藤岡陽子『トライアウト』(光文社文庫、2015年)。多くの人がイメージするトライアウトとは、戦力外通告を受けたプロ野球選手がもう一度どこかのチームに加入するために、自らの技術や能力を示す場のことではないでしょうか。でも、それを岐路に立った人間が再チャレンジ、あるいはリスタートする機会と考えれば、トライアウトは必ずしもプロ野球選手・スポーツ選手に限定されるものではないのかもしれません。シングルマザーの久平可南子38歳は、全日新聞の校閲部で働いていました。運動部への突然の異動に伴い、記者として再出発することを余儀なくされます。慣れない仕事、8歳になった息子・考太との関係、家族との距離感など、新たな環境のもとで不安に満ちた日々が始まります。そして、取材を通して話すようになったプロ野球選手・深澤翔介との交流は、自分の過去との向き合い方を大きく変えていきます。本書は、運動部記者を扱ったお仕事小説であるとともに、彼女とその家族との関係を描いた家族小説でもあります。
[おもしろさ] スポーツ紙ではなく、一般紙の運動部記者の場合
本書のおもしろさは、四つあります。一つ目は、スポーツ新聞社の記者とはまた異なる一般紙運動部記者の戸惑い、仕事の段取り・内容などがつぶさに描かれていること。二つ目は、プロ野球選手に必要な要件や戦力外通告を受けたプロ野球選手の心の内-どの球団からも必要とされなくなったときの絶望感と、それでも野球を続けたいという意欲・情熱の間で激しく揺れ動く-がリアルに描き出されていること。三つ目は、たとえ言い合いや意志の不疎通があったとしても、家族としての絆はそれなりに強固なものとして維持されていること。四つ目は、勝つためにさまざまな反則・不正・スパイ行為に手を染めるプロ野球監督の驚くべき手法などです。「辛い時はその場でぐっと踏ん張るんだ。そうしたら必ずチャンスはくる。チャンスがこない人は辛い時に逃げる人なんだ」。「一流になるのに必要なのは、思い込みと努力だ」。「人生を大きく動かすには、自分自身の中の暗闇を動かすしかないってことだな」。心に刺さる言葉が随所に散りばめられています。
[あらすじ] 過去の「不祥事」の真相も明かされていきます!
9年前のある「不祥事」で冷たい視線を浴びながらも、頑なに全日新聞社に居続けた久平可南子。産休のあと、もといた社会部から内勤へと異動。いくつかの部署を転々としたあと、校閲部に移りました。以前、2歳になった考太が肺炎で入院したとき、それまで一度も連絡を寄こさなかった父の謙二と母の佳代の見舞いを受けました。生まれて初めての孫との対面です。それは、親子の間に埋めがたい距離があったからです。父が可南子のことを「久平家の恥さらし」と人に言っていると聞かされたのは、妹の柚奈からでした。とはいえ、親子間の関係がなんとか維持されていたのは、妹の存在があったからかもしれません。それが契機となり、考太は、宮城県登米市で新聞の販売店を経営している実家で預かってもらっていました。定時帰宅の校閲部に配属されて4年が経過し、やっと落ち着いて過ごせるようになってきた可南子。来年の春から、考太を東京へ呼び寄せ、親子一緒に暮らそうと思い描いていた矢先、上司から運動部への異動を告げられたのです。運動部の記者としての初仕事は、「プロ野球12球団合同トライアウト」の取材でした。その取材を通じ、テストを受けた深澤翔介と話をするようになるのですが、どうも彼が、だれも知らないはずの考太の父親についての情報を持っているように思えてきたのです。それまで、可南子には、心に決めていたことがありました。息子のために仕事はやめないことと、父親の名前は誰にも明かさないことの二つです。しかし、運動部記者への異動と深澤翔介との出会いが可南子をめぐる事態を大きく変転させていきます。かつての「不祥事」をめぐる真実=過去の秘密が少しずつ明らかになり、可南子と家族の間で新たな絆が再生され、さらには自分自身に納得のいく生き方を選ぶようになっていくのです。
