経済小説イチケンブログ

経済小説案内人が切り開く経済小説の世界

『大班』 - 「中国人との付き合い方」+「中国ビジネスの極意」

中国ビジネスを扱った作品」の第三弾は、加藤鉱『大班 世界最大のマフィア・中国共産党を手玉にとった日本人』(集英社、2015年)。昼間は官僚、夜は「マフィアのボス」。二つの顔を使い分ける中国人エリートたち。一方で、知らない間に、利益を抜かれる日本企業。サブタイトルにも示されているように、一筋縄ではいかない彼ら(主に地方の共産党のエリート党員たち)と渡り合い、やがて彼らの懐に入り込み、ついには「大班(タイパン)(=リーダー)」と呼ばれるようになった日本人・千住樹(実在の人物がモデル)の1992年から2015年にかけての活動が描かれています。その過程で「中国人との付き合い方」および「中国ビジネスの極意」がさまざまなシチュエーションに応じて描き出されています。

 

[おもしろさ] 「中国人・中国社会の本質的特徴点」が凝縮

本書のおもしろさは、「中国人との付き合い方」や「中国ビジネスをうまく行うコツ」の理解につながる「中国人・中国社会の本質的特徴点」が凝縮されている点にあります。いくつか紹介しておきますと、「中国人のプライオリティ(優先順位)の最上位にくるのは『面子』。それを守るために家族・金・約束・友人・会社が犠牲になることも」。「人間対人間のパーソナルな関係がことのほか重んじられる」。「公私混同はごく普通のこと」。「ありとあらゆる組織、場所、環境で『幇』(パン)(結社、一味、仲間といった意味)が形成される」。「悪事とは、どこまで細かい安全装置を積み重ねるかがきわめて重要になる」。「中国人はいったん相手が隙を見せたら、それがどんなに小さな蟻の一穴であれ、どんどん行動や要求がエスカレートしてくる。従業員と一戦交えるのであれば、徹底的に叩かねばならない」。中国ビジネスに関わる人には、肝に銘じておくべき言葉が随所にちりばめられています。

 

[あらすじ] 幾度もの失敗と挫折を経験し、強靭なパワーを

なぜ日本人の千住が、手練手管を弄して中国人の共産党員・ビジネスマンたちと互角に渡り合うだけではなく、彼らのリーダー格として活躍できたのでしょうか? また、彼は、中国のビジネス・言葉・文化・政治などに精通し、強靭なパワーを身に付けることができたのでしょうか? それは、彼の紆余曲折の人生にあります。何度も失敗・挫折を経験し、その都度次につながるなにかを学び、それらを具現化させることで、己の力を一層熟成させていきました。少し長くなりますが、運命のいたずらによって中国ビジネスへと導かれるまでの道のりを紹介しておきましょう。大学に進んだ19歳のとき、中規模学習塾を経営していた父の他界で、塾は倒産。母親とともに膨大な借金の返済を余儀なくされます。「英語だけはしっかり磨いておけ」という父の言葉を受けて渡米し、ロサンゼルスでさまざまな仕事を経験。ドジャーズ・スタジアムでコーラの売り子をしていたとき、ドジャーズのオーナーと遭遇。彼の紹介で日本のNサンダーズでの通訳兼外国人選手のための世話係に就任。しかし、自己主張とは無縁の仕事に興味を持つことができず、小さな貿易商社に転職。オーストラリアに排ガスのテスターを販売する仕事に関わったことで、「豪州千住商事」を設立します。その後、23歳で結婚した千住は独立。マレーシア、シンガポール、タイ、香港に中古車を輸出するビジネスをスタートさせます。しかし、広東語に熟達した千住が香港で中古車販売会社を設立した途端、歯車が狂い始めます。何事にも足を引っ張られるようになったからです。「香港の業者は常にトリッキーで、騙すことは当たり前、騙されるほうが悪いという不文律に支配」されていたのです。会社の倒産を経て、今度は「差し押さえの対象となった自動車」の販売・メンテナンスとともに、半導体やICを売る仕事を始動。やがて、ショルダー式移動電話の登場で、携帯電話の黎明期に入った頃、香港の新聞の求人欄で見つけたのが、Q海竹之内総業(OA機器の部品専門メーカー)の仕事でした。30代半ばで同社の董事長(会長職に相当する)に就任した千住。広東省Q海市郊外にある、会社で借り上げた小ぶりな「招待所」(ゲストハウス)を基地に、違法ではあるものの、「中国政府に盗聴される心配なく自由に電話をしたい。それも手ごろな料金で」という中国人の切実な願いをかなえる救世主として立ち現れたのです。頭角をあらわした千住は、地元の有力者である郵電局長税関長といったエリート官僚たちと昵懇の関係を築き上げていきます。それは、中国における千住のビジネス本格化の始まりとなったのです。