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『旅屋おかえり』 - 依頼を受けて旅を代行するというお仕事

大企業などが進出しない非常に小規模な事業は、「隙間産業」あるいは「ニッチ市場」といった言葉で呼ばれています。では、それらのレベルにも届かない、さらに特化したビジネスはあり得ないのでしょうか? もしこんなビジネスがあれば楽しいとか、人のためになるとか、ひょっとしたら救われるとか、そのような感覚のお仕事って、ないのでしょうか? 今回は、三つの作品を通して、「隙間産業」のレベルに到達しないものの、「あり得るかも知れない仕事」について考えることにしました。ネーミングを試みるとすると、「すきま仕事」と言いえるような事業です。もしそのようなビジネスがあるとすると、いったいどのような業務になるのか、いかなる人がそれを利用するのか、どんな効果が期待できるのか、そして、それを行うことを通して、当事者はなにを気づくのか。そのあたりのことを考えてみたいと思います。

「すきま仕事を扱った作品」の第一弾は、原田マハ『旅屋おかえり』(集英社文庫、2014年)です。売れないアラサータレント「おかえり」こと、丘えりかが依頼人に代わって旅をするという前代未聞の「旅屋」の話。交互に湧き上がってくる涙と笑い。2022年1月25日~1月28日に「秋田編」と「四国編」、2023年1月30日~2月2日に「長野編」と「兵庫編」が、NHK BSプレミアムで放映されたドラマ『旅屋おかえり』(主演は安藤サクラさん、出演は美保純さん、武田鉄矢さん)の原作。第12回エキナカ書店大賞受賞。

 

[おもしろさ] 本来のキャラクター+用意周到な準備

旅の依頼人だけではなく、旅先で出会う人までをも笑顔にし、さらには依頼人の「生きる希望」すら蘇らせてしまうところが、旅屋おかえりの魅力。しかし、それが可能になるのは、彼女の持って生まれたキャラクターに加え、なによりも周到な準備がなされる点にあります。まずは「見たいもの」や「食べたいもの」など、依頼人が真に求めているものやその理由などの情報を事前に確認する。次に、依頼された瞬間に撮るシーンが想像できる腕の良いカメラマンの協力を仰ぐ。ディレクター・ヘアメイク・スタイリストから構成される「理想」のチームを再結集し、「ワクワク感」を共有する。撮影ポイントの事前確認を行う。予想しなかった環境変化があっても、臨機応変に予定を変更できる柔軟さを発揮する。おかえりが「見たもの」「体験したこと」「感じたこと」をビデオで撮影し、依頼者の心に届くように編集する。そうしたすべての過程での準備と実行力が大きな成果につながるのです。本書の魅力は、彼女の仕事に対する意気込みと、それが功を奏することになるプロセスを楽しめる点。内容的にも、旅屋という仕事に留まらず、仕事全般に応用できる広がりと奥行きを感じることでしょう! 

 

[あらすじ] 難病女性の「行きたい」を「生きたい」へ

超零細芸能プロダクション「よろずやプロ」(社長は萬鉄壁)に所属するただ一人のタレント・丘えりか32歳(本名は岡林恵理子。北海道の礼文島出身)。旅とご当地グルメがテーマの旅番組『ちょびっ旅』を、5年間レギュラーで持っていました。ところが、「江戸ソース」というスポンサーの名前を、ライバル社の「エゾソース」と間違えて連呼したことが契機となって旅番組は打ち切りに。おまけに、全財産が入ったバッグを地下鉄の座席に置き忘れて紛失。失意のどん底です。ところが、ある日、そのバッグを持ち主に返すため、鵜野という名の婦人が事務所にやってきます。そして、全身の筋肉が次第に移植していく難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)で闘病生活を送っている娘の真与(鵜野流四代目家元・鵜野華伝の一人娘)のために、旅行をしてほしいと懇願されます。鵜野の願いに胸を打たれたおかえり。「旅することで人助けになるのなら、こんなに喜ばしいことはない」。こうして、前代未聞の旅代理業「旅屋」おかえりが誕生することに。「青空に乱れ咲く満開のしだれ桜」を撮りたい。最初の訪問地は、しだれ桜が美しい秋田県・角館。しかし、角館の駅に降り立つと、そこは「一面の雨の中にあった」のです。でも、「何があっても急がずあわてず、ゆったり構えて。それが旅の極意なんだから」。自らを戒めるおかえり。旅屋としての初仕事は大成功でした。おかえりたちの撮った映像は、真弓の「行きたい」という希望を「生きたい」という希望に変えていったのです!