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『器に非ず』 - 社長の「器」とは? 

会社の発展のために決定的に欠かせない条件のひとつとして、「トップ(社長・会長)の力量」が挙げられます。いかに優秀な社員が揃っていたとしても、彼らの能力をうまく発揮させ、目標や課題に向けてコーディネートしていくリーダーがいなければ、組織は円滑に運営されていきません。もちろん、トップに期待される条件や資質は、規模の大小、経営環境、時代状況などによって大きく異なります。では、どのような状況下におかれても、トップが持つべき条件・資質というのはあり得るのでしょうか? 今回は、「会社のトップ」をさまざまな角度から考えるため、五つの作品を紹介したいと思います。

「会社のトップを扱った作品」の第一弾は、清水一行『器に非ず』(角川文庫、1994年)。浜松の町工場から世界的大企業に成長した本田技研工業(ホンダ)。同社躍進の最大の功労者は、いうまでもなく創業者・本田宗一郎。ところが彼は、エンジンの開発にしか頭にない、根っからの技術屋でした。それゆえ、銀行とのつながりをつけたり、販売網を整備したり……と、彼を補佐する藤沢武夫の存在は、必要不可欠だったのです。経済界の常識からすれば、藤沢の方が社長としての実務を執行していたと言えるかもしれませんね。本書は、そうした本田宗一郎藤沢武夫を軸に、創業から世界的大企業へと変貌していくホンダのドラマティックな発展過程がモデルになっています。作品中では、ホンダは「本州モーターズ」、本田は「五十島繁哉」、藤沢は「神山竜男」の名前で登場します。経済小説の古典的名著です。

 

[おもしろさ] 「トップになりたい!」 燃えるような野心

かつてブローカー的な活動を行っていた神山竜男。彼には「独特な商売のカン」がありました。一方の五十島繁哉は、根っからの技術屋でした。資金繰りとか銀行との折衝というのがとにかく苦手な彼に代わり、銀行とのつながりをつけ、販売網を整備し、度重なる危機を切り抜けたのは、神山の功績でした。会社の印鑑や代表取締役印さえ、神山が管理。そんな彼の心のなかに「ナンバー1」になりたいという強い野心が泉のようにわき上がってきました。思いは、年々蓄積され、自らを屈折させるほど強いものとなり、五十島に対する憎しみの情さえ生じ始めてきます。しかし、「あんたじゃエンジンはつくれない」という五十島の一言で、野心は水のアワに。神山は、五十島が考えていた「社長の器」ではなかったのです。そこには、「商人の会社にはならない。技術でメジャーになっていく。そういう会社でなければだめなんだ」という五十島の思い入れがあったのです。本書は、「トップになりたい」という神山の野心と、それが実現されなかったワケを、本州モーターズという会社の「あるべき姿・ポリシー」と絡めて見事に浮き彫りにしています。

 

[あらすじ] 発展の鍵は五十島社長と神山副社長の連携プレー

1948年に浜松で本州モーターズを創業した五十島。従業員や出入りの下請け業者から「おやじさん」と慕われ、いつも工場のなかで技術の改善に時間を費やしました。バタバタという名前の自転車用補助エンジンの製作から始まり、ドリーム号、カブ号、原動機付き自転車のベンリイ号をへて、58年にスーパーカブを発売。61年、毎年イギリスのマン島で行われている世界一過酷な二輪車レース「T・Tレース」で念願の優勝。同年春に公表された「特振法」構想のため、直ちに四輪車の製造に着手しなければ、参入できなくなるかも知れないという「危機感」のもと、四輪車への参入が見切り発車的に決定。67年のN360の製造で、軽自動車メーカーとしての地盤を固めます。さらに、マスキー法の75年規制を最初にクリアーした「低公害エンジンCVCC」の開発で大きく前進。そうした本州モーターズの躍進には、常に五十島と副社長の神山竜夫の連携プレーがあったのです。