「東京オリンピック1964を扱った作品」の第三弾は、伊多波碧『リスタート! あのオリンピックからはじまったわたしの一歩』(出版芸術社、2019年)です。専業主婦が当たり前で、会社などで働く女性は「職業婦人」と呼ばれていた時代。オリンピックをきっかけに、「働くことの意味」を考えるようになった女性五人を描いた短編集(全五話)。社会で働くことに対する「不安」「恐れ」「憧れ」といった複雑な胸の内が明らかにされています。家の外で働く女性がまだ一般的ではなかったがゆえに、むしろ働くことの「原点」が確認できる内容になっています。
[おもしろさ] 「本当はおつとめするのが怖かったんです」
専業主婦の職業婦人に対する考え方として、次のようなセリフが紹介されています。「社会に出て働くなんて、おこがましくて、わたしには何の取り柄もありませんし、流行りの職業婦人にはなれませんわ」。「難しいことは無理です」。「本当はおつとめするのが怖かったんです。三十を過ぎた女が働くなんて、周りになんていわれるかわかりませんもの」。「やっぱり女じゃ駄目なんだ。……料理人は男の仕事。いくら東京に行っても無駄。女は分相応にお茶汲みでもしていればいいんだ。ずっと、(父に)諭されてきた」……。でも、少数派であるかもしれませんが、周りには必ずと言っても良いほど、理解者がまたいることを忘れずに指摘しておきましょう。本書の魅力は、「専業主婦が普通、会社などで働くのは未婚者に限られるという時代」から、「既婚者や30歳を過ぎた女性たちも社会に進出していく時代」への過渡期の姿が浮き彫りにされている点にあります。
[あらすじ] 両親に守られ、夫に守られていたのが……
第一話に登場するのは、開業医をしている実家の両親に守られ、大切に育てられてきた30歳の愛子。「職業婦人として、男の人と肩を並べて働くのは自分には合わない。可愛くておしとやかなのが一番」と思い込んでいました。ところが、区議会議員を務めている夫から離婚を切り出されることに。両親に守られ、結婚後は夫に守られていた彼女は、家に閉じこもり、ふさぎ込んでしまいます。そんな愛子のことを心配した叔父の紹介で、1963年11月、丸の内にある都庁の秘書室兼オリンピック準備室で臨時採用の職員として働き始めます。仕事は「お茶汲み」。でも、「オリンピックを成功させるには、裏方がしっかり支える必要がある……。お茶汲みもちゃんとした仕事だ」という叔父の言葉に、家の外で働くことに初めて自分なりの意味を見出したのです。第二話では、コンパニオンにコネ合格した恭子(東京オリンピックの協賛企業の社長令嬢)が友人のいじめを経験することで、逆に確固たる気持ちで業務に取り組むように変わっていく姿が描かれています。第三話の主人公は、「努力すれば何者にもなれる」と信じ、集団就職で上京し、料理人になることを夢見て、オリンピックを控えた帝都ホテルで働き始める栄子。男性優位の職場環境に押しつぶされそうになりながらも、選手村で料理の味見を担当させられる過程で、現実的な着地点を見出すまでのプロセスがフォローされています。