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『オリンピックの身代金』 - オリンピックを人質にして爆弾を仕掛けたワケ

東京オリンピック1964を扱った作品」の第二弾は、奥田英朗『オリンピックの身代金』(上下巻、角川文庫、2008年)です。1964年10月、アジア初のオリンピックが東京で開催されました。それには、単に国際的なスポーツの祭典を日本で行うという以上の重みがあったのです。19年前の敗戦で大きな打撃を受けた日本人の多くが自信と誇りを回復し、先進国への仲間入りの契機となる国家的イベントだったからです。東海道新幹線、地下鉄、東京モノレール首都高速道路東京国際空港といった、東京の巨大なインフラ網が整備され、その現代化が急ピッチで図られたからでもあります。反面、過酷な環境下で建設・土木工事に駆りだされ、長時間労働を強いられた多くの日雇い労働者・出稼ぎ労働者の「犠牲」の上に成り立っていたという側面を無視することもできないでしょう。東京大学経済学部大学院生の島崎国男。秋田県からの出稼ぎ労働者として、オリンピック会場の建設現場で働いていた兄・島崎初男が急死します。その背中を追うようにして、自らも日雇い労働者になる国男。出稼ぎ労働者の劣悪な労働環境と、出稼ぎを必要不可欠な生活手段にさせている絶望的な東北の貧困を知るなか、オリンピックに憤りを覚えるようになっていきます。そして、それを人質にして、国家権力から身代金を奪おうと、周到な計画を練り、実行に移していきます。吉川英治文学賞受賞作。2013年11月30日と12月1日に、テレビ朝日系列で放映されたドラマ『オリンピックの身代金』(主演は竹野内豊さん、出演は松山ケンイチさん)の原作。

 

[おもしろさ] 「島崎国男の執念と知略」 VS 「警察の威信」

本書の読みどころは、第一に、オリンピックを妨害するため、脅迫状を送り、警察権力に真っ向勝負を挑む島崎国男の執念と知略、国家の威信・プライドをかけて検挙しようとする警察官たちの懸命の捜査、そして両者のつばぜり合いの描写です。第二に、いまの若い人には想像できないほど、当時の日本がまだ非常に貧しかったという現実がクリアにされている点にあります。また、描かれている1960年当時の世相・エピソードは、私のような年配者にとっては、非常に懐かしく感じられるものばかり。当時の記憶を走馬灯のごとく呼び起こしてくれました。

 

[あらすじ] 「東京オリンピックのカイサイをボウガイします」

「今年になってから世間はオリンピック一色だった。敗戦で打ちのめされた日本が、ようやく世界に認められ、一等国の仲間入りを果たそうとしているのだ。(大部分の人が)国を誇りに思い、高揚感を抑えられない」。終戦から19年。「首都東京は完全に再生した。古臭い路面電車は多くが姿を消し、地下深くにメトロが開通した。夜の銀座・赤坂はネオンに彩られ、東京タワーはパリのエッフェル塔よりも高い。人口は世界で最初に一千万人を突破した」。「東京オリンピックまであと2ケ月を切り、道端の物乞いたちは疎開を余儀なくされた。ネズミがいると恥ずかしいからと、都からはドイツ製の殺鼠剤が配られた。街中での立小便は厳しく取り締まられるようになった。海外からのゲストに、『美しい東京』を見てもらうためだ」……。オリンピックの開催に沸くなか、五輪警備の実質的責任者・須賀修二郎警視監の自宅、次いで中野にある警察学校が何者かによって爆破。前後して、「東京オリンピックのカイサイをボウガイします……。草加次郎」という脅迫状が警視総監に届きます。警察の威信をかけた大捜査が極秘に行われ、やがて一人の容疑者が浮上。東大の大学院生である島崎国男でした。エリートの道を歩くことを約束されたような東大生がなぜ、オリンピックを妨害する犯罪者になっていくのか? 彼のアクションは成功するのか? 壮大なドラマの始まりです。