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『官僚たちの夏』 - 官僚たちの今・昔

「忖度」(そんたく)という言葉があります。相手の心、気持ち、立場を考えて行動することという意味です。それ自体、けっして悪い行動ではありません。が、官僚たちが政治家の気持ちや意向を察して便宜を図ったり、上位の立場にある人だけを特別扱いしたりするようになれば、大いに問題ありです。とりわけ、第二次安倍政権下で省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局が発足して以降、官邸の意向を忖度する土壌はより強固になったと考えられています。しかし、いまから半世紀ほど前、そんなことなどお構いなしの、通商産業省通産省、現・経済産業省)の官僚がいたのです。その人物が若い役人たちに吹聴します。「おれたちは、国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ」と。官僚というお仕事の原点とも言うべき言葉なのかもしれませんね。今回は、高度成長期と現在の官僚の姿を対比できる二つの作品を紹介します。

「官僚を扱った作品」の第一弾は、城山三郎官僚たちの夏』(新潮文庫、1980年)。高度成長期における、忖度とは無縁な通産官僚たちの政策や人事をめぐる熱い戦いが描かれています。「ミスター・通産省」と称された主人公・風越信吾のモデルは、佐橋滋(1913~93年)。企業局長だった頃に彼が取りまとめたのが、1963年から三度国会に提出され、廃案になった「特定産業振興臨時措置法(特振法)でした。官僚を描いた経済小説の古典的名著で、1996年1月に放映されたHNK「土曜ドラマ」(主演は中村敦夫さん)および2009年7月~9月のTBS「日曜劇場」(主演は佐藤浩市さん)の原作でもあります。

 

[おもしろさ] 新政策づくりに燃える官僚たち! 

通産官僚にとっての夏は、単に暑いだけではなく、まさに熱い季節でした。国会から解放され、新政策の編成期を秋に控え、「官僚たちが新政策づくりに燃え上がる最も熱っぽい季節」だったのです。夜遅くまで、激論し、勉強し、仕事をする官僚たち。特に、日本国・日本経済のためには「かくあるべし」という理想論を盛り込んだ「指定産業振興法」の実現に向けて一丸となって邁進する官僚たちの働きぶりには、同時代の通産官僚たちのプライドが凝縮されていました。この本を通して、キャリアと呼ばれる通産省の高級官僚たちが、どのようにして経済政策を企画・立案するのか、いかなる形で省内および政治家たちへの根回しを図っていくのか、さらにいかにして実現させ、もしくは廃案に追い込まれていくのかについてよく理解できることでしょう! また、通産省の組織、権限をめぐる争い、キャリア組とノンキャリア組の区別、通産省の人事のあり方などに関する情報も満載されています。

 

[あらすじ] 順調に昇進していく一方で

冷房のない大臣室。きちんとネクタイをつけた竹橋通産大臣を相手にまるで見下すようにして、ノーネクタイ、ワイシャツの腕まくり姿の男が熱弁をふるっています。その男こそが大臣官房秘書課長の風越信吾。何年も前からの彼の「生きがい」は、めぼしい役職者の名前が一名ずつ記されたカードをにらみながら、組織図を念頭に置きつつ、適任のポストにカードを振り分けるという「カード配り」でした。人事権を握る秘書課長となったいま、彼のカード配りには、一段と熱気がこもります。保身や事なかれ主義といった官僚たちにありがちな姿勢とは無縁。相手が大臣であろうが、財界の大立者であろうが、歯に衣を着せることなく直言します。出世欲がなかったとはいえ、彼自身は、秘書課長のあと、重工業局次長、重工業局長、企画局長から、特許庁長官経由ではありますが、次官にまで昇進していきます。果たして、自らの描いた人事構想はどのような形で現実化していくのでしょうか? また、通産省を取り巻く環境変化とはいかなるものだったのでしょうか?