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『羊と鋼の森』 - 「心が震えるような美しい音色」を作り出す調律師! 

「ピアノを扱った作品」の第二弾は、宮下奈都『羊と鋼の森』(文藝春秋、2015年)。弦の張りを調整し、ハンマーを整え、ピアノがより美しく音楽を形にできるようにする調律師。ピアニストが美しい音を出せるには、彼らの存在を欠かすことができません。高校二年生のとき、偶然出会った板鳥宗一郎の調律に感銘した戸村。「欲しかったのは、これだと一瞬にしてわかった」。調律師になりたい! そうした思いからスタートした戸村の、調律師としての、また人としての成長物語です。2016年における第13回本屋大賞受賞作。2018年6月8日に公開された映画『羊と鋼の森』(監督:橋本光二郎、主演:山崎賢人三浦友和)の原作。

 

[おもしろさ] 調律師という仕事の真髄と喜びが

「ぼやけていた眺めの一点に、ぴっと焦点が合う。山に生えている一本の木、その木を覆う緑の葉、それがさわさわと揺れるようすまで見えた気がした。今もそうだ。最初はただの音だったのに、板鳥さんが調律し直した途端に、艶が出る。鮮やかに伸びる。ぽつん、ぽつん、と単発だった音が、走って、からまって、音色になる。ピアノって、こんな音を出すんだったっけ。葉っぱから木へ、木から森へ、山へ。音色になって、音楽になっていく、その様子が目に見えるようだった。自分が迷子で、神様を求めてさまよっていたのだとわかる。迷子だったことにも気づかなかった。神様というのか、目印というのか。この音を求めていたのだ、と思う。この音があれば生きていける、とさえ思う」。ホールにあるピアノの調律を終えた板鳥の仕事ぶりを目の当たりにした戸村の思いが綴られています。「ピアニストの腕が一番引き立つ音」を追求し続ける優れた調律師と出会って、「美しいもの」に気づかされた戸村! 「ピアノに触れたときの、あっと叫び声を上げたくなった気持ち」。そこに、調律師という仕事の真髄と喜びが凝縮されているのかもしれません。

 

[あらすじ] 調律師と出会い、その世界へ入り込む戸村

「ここのピアノは古くてね。とてもやさしい音がするんです。いいピアノです。昔の羊は山や野原でいい草を食べていたんでしょうね。いい草を食べて育ったいい羊のいい毛を贅沢に使ってフェルトを作っていたんですね。今じゃこんなにいいハンマーはつくれません」。そう話したのは、学校の体育館にあるピアノの調律にやってきた江藤楽器の調律師・板鳥。聞いたのは戸村17歳。それまでピアノというものを意識したことがなかった戸村の、ピアノおよび手を抜かずにきれいな音を出そうと努力を怠らなった調律師とのファーストコンタクトでした。その後、板村は、北海道から本州に渡り、調律師養成のための専門学校で2年間学んだあと、運良く江藤楽器に就職します。同社は、調律師4名のほか、事務・受付・営業などのスタッフを合わせて10名ばかりの小さな店です。「一般家庭での調律は約2時間。全て予約制」で行われます。7年先輩にあたる柳さんの下で見習いをさせてもらいながら、湿度・季節をも勘案した入念な調律の技術や、さまざまな要望を持っている客とうまく接する方法などを学んでいく戸村。やがて、「依頼主の頭の中のイメージを具現化する」ことの先に、調律師の仕事の醍醐味が待ち受けていることを発見していきます。