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『リタとマッサン』 - 国産ウイスキーの誕生に生涯をかけて夫婦

いまや海外でも高い評価を受けている国産ウイスキー。2021年8月現在、稼働中の蒸留所は39カ所にまで増加しています。しかし、国産ウイスキーに向けての最初の動きがあった1920年頃はまだ、アルコールに色と香りをつけた「名ばかりのウイスキー」が横行していました。そのような状況下で、国産ウイスキーがつくられるようになり、品質が改善され、高い評価を受けるようになるまでには、実に多くの人たちの努力と創意があったのです。今回は、国産ウイスキーの誕生に尽力したパイオニアたちを描いた作品と、ウイスキーに魅せられた洋酒会社の宣伝マンを描いた二つの作品を紹介します。

ウイスキーを扱った作品」の第一弾は、植松三十里『リタとマッサン』(集英社文庫、2014年)。日本酒の「作り酒屋」に生を受けたものの、「国産ウイスキーをつくりたい」という一途な思いを持ってスコットランドに渡り、のちに「ニッカ」を創業する竹鶴政孝(マッサン)。彼を献身的に支え続けた妻のリタ。そんな二人によって綴られる物語です。この二人を扱ったテレビドラマとして、2014年9月~15年3月にNHKで放映された連続テレビ小説『マッサン』があります。

 

[おもしろさ] 乗り越えるべき障壁は一歩一歩! 

マッサンがスコットランドに留学していた1920年頃、国産ウイスキーは未だつくられていませんでした。ウイスキーと言えば、アルコールに色と香りをつけた「偽物のウイスキー」だったのです。そうした「名ばかりのウイスキー」という状態から脱却し、「本物の国産ウイスキー」をつくる。そのためには、本書で示されているように、ときには妥協したり、ときには時間の経過に身を任せたりしながらも、多くの乗り越えるべき障壁を一歩一歩克服していくというドラマチックな展開があったのです。

 

[あらすじ] 「政孝の職人気質と鳥井の商才と宣伝力」が不可欠! 

スコットランドグラスゴー郊外の小さな街・カーカンテロフ。そこで育ったリタ・カウン22歳は、3年前に婚約者を第一次大戦で失ってしまいました。さらに昨年、47歳という若さで医者だった父をも亡くし、失意のなかにいました。父親の数ある蔵書の中から見つけた、イザベラ・バードの紀行文『日本奥地旅行』を読んでいたとき、妹のエラが通うグラスゴー大学の留学生・竹鶴政孝のことが話題に上ります。カウン家に招待された政孝は、勤務先の摂津酒造社長・阿部喜兵衛の意を受け、日本でウイスキーづくりをするため、現地に学びに来ていると自己紹介。やがて、リタは、尊い理想を持ち、「目が生き生きと輝いているマッサンに恋心を抱くようになります」。互いに好意を持つようになったリタとマッサンは、結婚を決意。日本での生活をスタートさせます。ところが、大不況の悪影響の中、重役たちの反対が強く、摂津酒造におけるウイスキー計画はなかなか着手できません。帰国して1年が経った頃、自宅に寿屋の鳥井信治郎が訪ねてきます。赤玉ポートワインで稼いだお金で工場を建てるので、移らないかと懇願します。政孝は断るのですが、信治郎もあきらめません。摂津酒造を退社した政孝に、「まっさん、1年待つよってに。本物のウィスキー、一緒に作ろうやないか」と鳥井。こうして、政孝は、15歳年上の鳥井信治郎のもと、工場長として雇われることに。「ウィスキーを作りたい。でもいいウィスキーでなければ、駄目なんだ」と、あくまでも品質を追求する職人気質の政孝。一方の鳥井の方は、「いかにして商品を売るか、どうやって客に喜んでもらうか」という。国産ウイスキーの製造には、政孝の製造技術と鳥井の商才と宣伝力が不可欠だったのです。かくして、1924年、山崎に日本初のウイスキー蒸留所が創業されるのですが……。