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『シンデレラ・ティース』 - 歯科医院に持ち込まれる悩みの数々

「クリニックを扱った作品」の第三弾は、坂木司『シンデレラ・ティース』(光文社文庫、2009年)です。「小さい頃から、歯医者なんて大っ嫌いだった」。「キーンと耳ざわりなドリルの音! 私は今でもあの音を聞くと、右の奥歯がつきんと痛むような気がする」。そのように感じているのは、大学生の叶咲子。ところが、ある事情で、夏休みの間、歯科医院で受付のアルバイトをやることになります。初めは憂鬱だったのですが、医院のスタッフのやさしさ、丁寧な治療、大きな悩みを持って通院している患者たちとの触れ合いによって、「恐怖症」を克服していきます。歯に関する悩みとその解決策、歯科医院の役割、そしてクリニックの院長、歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士、窓口事務などのお仕事がよくわかる作品です。歯ぎしりや口臭といったポピュラーな悩みを取り上げても、その深刻さ、原因の複雑には、驚かされてしまいます。

 

[おもしろさ] 物事を理解することで、恐怖心を克服する

歯医者さんが怖いという人は非常に多いようです。「歯科治療恐怖症」という病気さえあるのです。著者の坂木も、本書の主人公である叶咲子も、「歯医者が嫌い」「歯医者が怖い」と意識しています。歯医者の治療行為は、歯のトラブルを治すには不可欠なものにほかなりません。そう頭ではわかっていても、心に抱いた恐怖心は、簡単には払しょくされません。しかし、本書が示しているように、歯医者という仕事の大切さと大変さ、患者を治そうとするスタッフの情熱や重いなどを理解することで、子ども心に定着した恐怖心を和らげていくことができるのです。物事を理解することで、恐怖心を克服する。「知ることで克服できる恐怖もある」。歯科医院を舞台に確認された、そうした教訓は、ひょっとしたら、それ以外のさまざまな恐怖心の克服にも応用できる、「普遍的なもの」かもしれませんね。

 

[あらすじ] 「きちんと相手と向き合う」という姿勢

小さい頃の歯の治療が原因で「歯科恐怖症」になってしまった叶咲子(通称サキ)。19歳の大学二年生。見た目はまあ普通の女の子。ある日、「知り合いが受付嬢を募集してるのよ」という母親の計略にひっかかり、叔父(叶唯史)が歯科医師として勤めている歯科医院「品川デンタルクリニック」でアルバイトをすることに。スタッフを紹介すると、院長は、品川知之です。もう一人のドクターである成瀬吉人。「歯の病気に関する予防措置をとること、保健指導をすること、歯医者の診療補助をすることが仕事に当たる歯科衛生士は3名(三ノ輪歌子、中野京子、春日百合)。「歯に被せる金属とか、入れ歯とか、再芝とか、口の中に入れるものを作る」歯科技工士の四谷謙吾、窓口業務を一手に引き受けている葛西瑞枝(サキの直属の上司に当たる)と一緒に働くことになります。同クリニックには、サキがイメージしていた歯科医院とはかけ離れたところがあります。患者さんは「お客様」、診察券は「メンバーズカード」と呼ばれています。クロークのサービスがあり、専属の受付嬢までいるからです。そうした環境下で働き始めたサキ。やがて、院長から、「お客様と最初に接するのは、受付にいる人間だ。待ち時間の間、雑談として情報を集め、それをまとめてほしい」という依頼が……。かくして、少しずつではありますが、サキは受付嬢として「成長」を遂げていきます。これまでは、「いつも受け身で、受け身の心地よさにとっぷりと浸っていた」サキ。以後、「きちんと相手と向き合い」姿勢を貫いていくことになります。