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『独走』 - 「金メダル倍増計画」が問いかける! 

まもなく開会式を迎える東京オリンピック。世界中のトップアスリ-トが集うこの大会は、本来ならば、世界中の多くの人々の関心と声援の的になるはずのものでした。ところが、コロナ禍の影響で、なんとなく盛り上がりに欠けています。戸惑いを感じている方もおられるのではないでしょうか! とはいえ、スポーツの魅力自体は否定されるべきではありません。多くの人たちにとっては、スポーツは人生を彩る大きな「楽しみ」です。「プロアスリート」にとっては、生活の糧を与えてくれる存在なのです。今回は、陸上・野球・ゴルフという分野のアスリート(スポーツ選手)を扱った三つの作品を紹介し、仕事という目線からも彼らの喜びと苦悩を考えてみたいと思います。

「アスリートを扱った作品」の第一弾は、堂場瞬一『独走』(実業之日本社、2013年)。国家によるアスリート育成政策の功罪が扱われています。「スポーツ省」から国の「特別強化指定選手(ステート・アマチュア:SA)」に選ばれた陸上選手・仲島雄平と、彼のサポートを命じられたオリンピック柔道金メダリスト沢居弘人の姿が描写。国による「金メダル倍増計画」の落とし穴、トップアスリートの喜びと哀しみなどが明らかにされています。また、アスリートたちに対してオリンピック以外のもう一つの選択肢が与えられた場合、どのような波紋が起こりえるのかについても言及されています。

 

[おもしろさ] 国家によるアスリート育成の功罪

いまや、オリンピックにおけるメダルの数は、単に国の威信を高めるものだけではなく、国際競争力の強さの象徴としても考えられているようです。そのため、より多くのメダルを獲得することを目的として、スポーツ選手を組織的かつ効率的に育成することは、世界の「常識」となっています。本書に登場する日本の「スポーツ省」は、そうした目標を達成するために、三十数年の間、「国がすべてをコントロールする人材育成」の中心的な役割を担ってきたのです。確かに、国から支払われるおカネは、日々の生活のみならず、合宿や遠征の費用をねん出するための心配から解放し、競技だけに集中できる環境を作ってくれます。アスリートにとっては、実にありがたい制度に違いありません。が、他方で、選手は、大事な素材であるが故に、常に監視の対象となり、「スポーツ振興という大きな目的の前ではパーツのひとつにすぎない」と考えられてしまわれがちなのです。この本は、そうした国による人材育成の大切さとともに、行き過ぎたスポーツ振興策の弊害もあわせて描き出しています。

 

[あらすじ] 金メダリストの柔道家VS金メダル候補の高校生

国内最高の場所、スポーツ省強化トレーニングセンターを拠点として、世界中で戦ってきた柔道選手・沢居弘人。1カ月前のオリンピックで金メダルを獲得し、報奨金の1億円を受領。引退に伴い、「特別強化指定選手(SA)」の指定も解除されています。「一年ぐらい何もせず、ひたすらのんびりしていたい」と思う反面、突然ぽっかり空いた暇な時間を持て余していました。そんな折、スポーツ省強化局長の谷田貝から、次期五輪に向けての「金メダル倍増計画」のことを知らされます。そして、2年生のときに1万メートルの高校記録を更新した仲島雄平のコーチに就任してほしいという要請が。「無理のない走りで、スピードの乗りがダントツ」、「最大酸素摂取量も心拍数も、常人のレベルではない」という逸材でした。が、彼には、「考えすぎて、自信をなくしてしまう」という、メンタル面で根本的な弱点があり、それをカヴァーしてほしいというものだったのです。他方、沢居と面談した仲島は、SA制度の経済面でのありがたさとともに、あこがれていた箱根駅伝への出場を全面否定されただけではなく、SAを途中で辞めた場合のお金の返還義務まで聞かされたことで、居心地の悪さを感じてしまいます。両者の関係は、その後どのように展開していくのでしょうか?