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『万事オーライ』 - 「別府観光の父」と呼ばれた男

コロナ禍で大きく抑制されているヒトの移動。とはいえ、それは、人々の生活を維持していくうえで欠かせない経済活動のひとつです。移動の目的は、娯楽、食事、仕事、旅行・観光など、多様です。一日で完結しない場合や遠隔地に移動する場合は、宿泊が必要になります。そこで浮上するのが、旅館やホテルといった宿泊施設。では、同じように顧客に宿泊というサービスを提供する旅館とホテル。違いはどこにあるのでしょうか? 旅館業法によれば、一部屋当たりの広さが7平方メートル以上の和室が5室以上ある場合が「旅館」、一方、一部屋当たり9平方メートル以上の洋室が10室以上ある場合が「ホテル」と定められているようです。ホテルについては一度取り上げたことがあります。今回は、旅館を素材にした作品を三点紹介します。

「旅館を扱った作品」の第一弾は、植松三十里『万事オーライ』(PHP研究所、2021年)。大分県の別府を「日本一の温泉地」に仕立て上げた油屋熊(1863~1935年)の生涯が描かれています。いまでは「当たり前」のように存在する、別府という温泉地における旅館・ホテル群、港湾施設・道路、周辺地域を含めた多様な観光施設。それらの基礎が整備されるまでには、熊八をはじめ、多くの人々のアイデアと努力があったことを知ることができます。

 

[おもしろさ] 意欲、アイデア力、情熱、ご縁、知識

「別府にしかない楽しみ」をつくりたいという明確な意欲、持ち前のアイデア力、情熱、出会った人たちとの「ご縁」、学んできた知識。油屋熊八の生涯を振り返ると、それらのすべてがうまく結び合わされ、その結果、温泉地としての別府の現在的基礎が構築されたことがよくわかります。

 

[あらすじ] 小さな旅館から始まった大きな意気込み

明治維新の5年前、四国の宇和島で生まれた油屋熊八。時事新報の大阪特派員として働きながら、株の売買で巨利を得て、一時は「油屋将軍」とまで呼ばれるほどに活躍します。東京で知り合った渋沢栄一からは、「アメリカやヨーロッパを見てくるといい。私も若い頃は無茶をしましたが、洋行によって考えが改まりました」と言われます。ところが、日清戦争後に経済動向の先行きを読み間違え、財産を失うことに。再起をかけ、亀井タマエ(別府で「亀の井旅館」という宿屋を経営)から借金をした彼は、アメリカに渡ります。3年間生活するのですが、思うような成果が得られません。渡米中に妻のユキが住み込みで働いていた「亀の井旅館」を引き継ぎ、旅館業に参入したのは明治44年(1911年)、熊八48歳のときでした。やがて、熊八のアイデア心に火がつき始めます。目抜き通りである流川通りの拡張、大型船が接岸できる桟橋の建造、家族連れ客の誘致、鉄輪温泉や地獄めぐり(龍巻地獄・血の池地獄・海地獄)といった周辺の温泉施設との連携を軸にした観光のためのインフラ整備など、さまざまな新機軸・アイデアを人々に持ち掛けます。が、古くからの温泉街。新しいことに踏み出そうとする意欲が欠如していました。それでも、これまでに日本にはなかったような温泉観光地をつくろうと、妻のユキや仲間たち力を合わせて奔走します。