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『雄気堂々』 - もうひとつの渋沢栄一像

渋沢栄一を扱った作品」の第二弾は、城山三郎『雄気堂々』(上下巻、新潮文庫、1972年)。「血洗島の一農夫」でしかなかった渋沢栄一。妻・千代との結婚から彼女の死に至るまでの期間、栄一がどのように考え、行動したのか? 栄一の半生が描かれています。また、明治維新に対する著者なりの見方が見事に浮き彫りにされています。「若い渋沢の目で見た維新-それは、稀有の天才や重苦しい大人物が遂行したものではなく、ここに一人の青年、あそこに一人の青年、ここにも一人の中年、あそこにも一人の中年-そういった感じの人々が集まり、『八百万の神々の集い』を持つ形で、初々しく、また、つまずきをくり返しながら、そして、彼ら自身も変身・変貌しながら、築き上げて行ったものである」。

 

[おもしろさ] 「みずみずしい発見や感動、苦しみやよろこびを」

愛誦した詩の一節の如く、「雄気堂々」の人生を志す。「薩長土肥いずれの藩閥出身でもなく、維新で活躍したわけでもない。それでいて、いわゆる明治の元勲と肩を並べ、近代日本を築く最高の指導者、最大の経済人になる」。「奇蹟」のように思える生涯ではないでしょうか! そんな渋沢の「みずみずしい発見や感動、苦しみやよろこびを、自分のものとして味わってみることができた」。「あとがき」でそのように記した城山。いつも毅然としており、何事にもけっして動揺しなかったわけではありません。怒り、苦しみ、それでいて、常に前を向いてまい進した渋沢。そんな人間・渋沢栄一の心の動きを手に取るようにフォローできる作品に仕上げられています。さまざまなシーン・エピソードのなかで描き上げられる栄一の「脳内言語」……。本書の大きな魅力に違いありません。

 

[あらすじ] 眠りこけている人々に対する反撥心

栄一と千代の結婚は、父の市郎右衛門が仕組んだこと。「二人はいとこ同士であり、幼馴染でもあった。お互いに相手が嫌いではなかったが、といって、激しく愛し合って結婚に至ったというのではなかった」。むしろ、江戸への遊学や尊王攘夷に栄一の関心が向きすぎることを懸念し、なんとかして「家につなぎとめておきたい」という考えがあったのです。しかし、父親の思いとは裏腹に、栄一は、尊王攘夷の運動にのめり込んでいきます。すでに揺らぎ始めている時代の流れに対して、なんの疑問も抱かず、眠りこけている人々に対する反撥心を有した栄一にとっては、尊王攘夷に対する関心は、ごく自然の流れだったのかもしれません。藍の商いのなかから、150両という大金をひそかに貯め込み、江戸に旅立った彼は、同志たちを集め、横浜の外国人居住地を焼き討ちする計画を立案。父に勘当の措置を講じてもらった栄一は、決行の直前に止めることを懇願する従兄・尾高長七郎の涙ながらの中止要請に応じ、やむなく中止の決断をします。その後、平岡円四郎の仲介で、かつての打倒の相手・一橋家の家臣となった栄一。藩兵の募集を見事にやり遂げただけではありません。藩内で生産される年貢米・木綿・硝石を活用してその経済的基盤を拡充する施策を実施。経済官僚としても、その「力=老練さ」を発揮し、慶喜に認められることとなります。こうして、栄一は、フランス滞在を経て、維新へと結実していく大きな時代の渦に巻き込まれていきます。