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『道をたずねる』 - 日本に住宅地図を普及させる! 

「はじめて物語」の第三弾は、平岡陽明『道をたずねる』(小学館、2021年)。別府で、天沢永伍が興した地図会社「キョーリン」。設立7年目、社員は20名たらずで、零細企業の域を出ていない状態でした。が、創業社長には、「いつの日か、日本の全建物と全氏名の入った住宅地図を完成させる」という大きな目標がありました。キョーリンが辿った苦難の道のりと切り開き続けた新たな地平が描かれています。世の中には、絶対に間違えてはいけない印刷物が三つあります。それは、電話帳、新聞の株式欄、住宅地図です。日本に住宅地図を普及させた、国内最大手の地図情報会社「ゼンリン」がモデル。

 

[おもしろさ] 「間違いが許されない」地図作りという仕事の大変さ

日本初の住宅地図に挑んだキューリンの苦難、各地を網羅していくときの手法、快進撃の様子、調査員の気苦労と楽しみの数々など、実にドラマティックです。読みどころ満載の力作と言わざるを得ません。おもしろかった点を三つばかり指摘しておきましょう。一つ目は、キョーリン創設の経緯。戦後、さまざまな商売に手を染めた天沢永伍。ある日、溢れかえる観光客のために冊子を作ってみようと思い立ちます。そして、数頁の『観光別府』という小冊子とおまけとして巻末に「観光地図」をつけたところ、このおまけの方が読者の反響を呼んだのです。「地図は、商売になる」と確信したからこそ、地図会社「キョーリン」を創設したのです。かつてのような「戦争や統治のための地図作り」から「生活や商売のための地図づくり」への転換と言えるわけです。二つ目は、初期のビジネスのやり方。別府の住宅地図が当たって気をよくした社長は、初の県外進出を思い立ちました。選ばれたのは、熊本市。地図が当たったからといっても、せいぜい「500部完売」といった程度。永伍たち4名の調査チームは、布団を背負い、鍋を抱え、熊本行きの夜行列車に乗り込みます。お金は、翌朝の朝食代のみ。要するに、「着いた日の夕食代も、宿賃も、地図の制作費も、給料も、帰りの汽車賃も、全て現地調達する」わけです。このシステムのお陰で、カネがなくても次々と調査をかけることができました。しかし、「致命的な欠陥は、(そうなるケースも多かったのですが、)着いた日の夜までにまとまった広告予約金が取れなければ、食うや食わずの野宿になること」。三つ目は、間違いのない地図作りの大変さで事業が軌道に乗るようになってからも、「間違いが許されない」地図作りの仕事ゆえ、調査員には常に大変な根気強さと「職業的誠実さ」が要求されました。基本は、「地図の調査員は、表札を一軒ずつ書き留めていく」ことなのですが、それを間違いなく行っていくのは、至難の業だったのです。そもそも、参考にしている「森林基本図」自体の精度は極めて低く、「ないよりはマシ」ぐらいのものでしかなかったのです。しかし、そのような先代社長時代の苦労やノウハウがあってこそ、31歳で先代を継いだ天沢一平は、地図の電子化に取り組み、世界初のカーナビを完成に導いていくことができたということができるでしょう。

 

[あらすじ] 「俺と一平の代で全国制覇を果たすんや!」

別府市立浜岡中学校の教室、一斉に弁当を広げる生徒たち。合志俊介(成績は中の中だが、勉強は好きではなかった。体を動かす方が性に合っている。父の葉造は、キョーリンで調査員を束ねる現場のリーダーをしている)、天沢一平(腕っぷしの強さは構内に知れ渡っており、バンカラを絵にかいたような「ガキ大将」。父親がキョーリンを経営している)、陽太郎(父がおらず、貧乏、だが成績は優秀で、浜中始まって以来の「神童」と噂された)の三人は、同じ町内で育った幼馴染。弁当を持ってくることができない陽太郎の事情を察した一平の提案で、昼飯を抜いた三人は、後者の裏山にあるクスノキへと向かいました。胴回りが5メーロルもある巨木の幹に飛びつき、それぞれの「指定席」によじ登りました。そして、将来の夢・進路について語りあったのです。「親父の地図屋を継ぐ。そして、親父の代では完成させることができないかもしれない全国制覇を果たす」と言ったのは一平。「ゆくゆくは英語で身を立てたいち思っちょるけど、働きながら勉強できる仕事を探す」と陽太郎。それに対し、俊介は、「とりあえず、高校に進むことになるかのう。じつは、就職でもいいち思っちょるのよ」と歯切れの悪い思いを告げることに。内心では、もし就職するなら、父と同じキョーリンに入りたいと思っていたのです。そして、のちには「俺と一平の代で全国制覇を果たすんや」という想像に胸を膨らませるようになっていきます。昼休のチャイムがなると、クスノキから飛び降りた三人。その巨木の一角に、「永」「葉」「純」という文字が刻まれていました。「永」は、永伍の永、「葉」は葉造の葉、「純」は、永伍と葉造の竹馬の友だったが、戦争で亡くなった純一を意味していました。かつて、「友のピンチを助ける」「友の頼みを断らない」「友に隠し事をしない」という約束をした三人。それと同じ約束は、彼らの子どもの世代に引き継がれたのです。こうして、三人三様の未来が、地図会社キョーリンの歩みと並行して語られていくことになります。