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『地中の星』 - 文明国にしかありえなかった地下鉄を東京に! 

「江戸・東京はじめて物語」の第四弾は、門井慶喜『地中の星』(新潮社、2020年)です。東京に地下鉄を誕生させるという前代未聞の偉業を達成した早川徳次と、工事現場で彼をサポートした大倉土木の総監督・現場監督たちの熱い物語。東京初の地下鉄が同時代の人々にどのように受け止められたのか? 興味深いエピソードが満載です。

 

[おもしろさ] 完成までに越えなければならなかった諸難題

早川徳次が地下鉄を造ろうと言い始めたとき、いろいろな反対意見が出されました。「電車を乘るのに階段をいちいち下ったり上がったりすんのか。面倒くせえな。誰が使うか」「いまの市電でじゅうぶんだろう。つめこむ空間が足りねえなら、車両を二階建てにしろ」「地震などで、地面が落ちたらどうする」「地盤が軟弱でしょう。たった300年前には海だったのですしね」……。加えて、株主の離反、役人の無理解、鉄道関係者による姑息かつ露骨な妨害、そして関東大震災などにも苦しめられます。そのうえ、実際に工事に着手してから直面する数々の困難・難題は、そうした人々の反対意見や妨害行為などにも劣らぬ高レベルのものでした。本書の魅力のひとつは、そうした諸困難にもがきながらも、資金や人材を集め、会社(東京地下鉄道株式会社)を設立し、起工に漕ぎつけてしまう徳次の「ネバーギブアップ精神」の描写にあります。そして、もうひとつの魅力は、実際に工事を担当した大倉土木(のちの大成建設)の現場における総監督である道賀竹五郎をはじめとするスタッフ(例えば、木本胴道や奈良山勝治などの監督たち)の尽力があってこそ、不可能と思われた難工事をひとつひとつクリアしていけたという事情を知ることができる点にあります。

 

[あらすじ] 「この世で最初の、そうして死後も残る仕事」

早稲田大学法学科卒業後、南満州鉄道に就職したあと鉄道院に移籍した早川徳次。役人勤めは性に合わないと、経営者として栃木県の佐野鉄道、大阪府の高野登山鉄道に乗り込み、どちらもつぶれそうにあったのを見事に再建。気が付けば、34歳になっていました。「この世で最初の、そうして死後も残る仕事」がしたい。ところが「その仕事とはなにか」がわからなかったのです。「八方ふさがり」のまま、徳次は、大隈重信に直談判し、鉄道院嘱託という身分でロンドンに渡ります。「これだ。人生を賭けるに値する」。ついにそれを見つけたのです。地下鉄道でした! やると決めて帰国したものの、「どこから手をつけるか」「工事はどうやるのか」「どの業者にやらせるのか」「許可はどこに申請するのか。東京市か? 鉄道院か?」「資材はどうする」……。わからないことだらけでした。「やはり無理か……」。そこで、ひらめいた突破口とは? 妻に伝えました。「黒豆を十個、白豆を、そうだな……三十個用意してくれ」と。まずは、二種類の豆を活用して、人の通行量をつぶさに観察し、その数を道路地図に書き込んでいくという交通量調査に着手したのです。こうして暗中模索のなか、徳次の地下鉄開設という一大事業への準備がスタートしたのです! 

 

地中の星