経済小説イチケンブログ

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『削り屋』- 職人たちが織りなす「奥深い世界」

「職人気質」という言葉があります。「自分の腕に絶対的な自信を持ち、頑固で実直な気質」を意味しています。モノの生産に機械が導入される前、すべては「手作り」でした。そこでは、「モノの生産者=職人」という等式が成り立ちました。しかし、技術が発展し、機械化が進展すると、「巧みな人間のなせる技」が介入する余地は非常に狭められていきました。 「機械万能時代」の到来です。では、「巧みな人間のなせる技」は、まったく通用しなくなってしまったのでしょうか? 答えは否です。依然として、職人たちのパワーが発揮できる場はさまざまなところに残されているからです。例えば、機械なんて使わずに自分の感覚で正確に0.1ミリの角度で曲げることができたり、自分の勘だけで鉄の塊を0.1ミリだけ正確に削れる職人がいたりするのです。もっとも、これからの時代、「人間の固有な感覚や勘」の使われ方も大きく変わっていきます。つまり、機械や最先端技術と対立するのではなく、それらをうまく操っていける「匠の技」を駆使する新しいタイプの「職人」が生まれるのではないでしょうか! というのも、消費者にとっては、誰が作ったのかは、必ずしも最大の関心事ではないからです。なによりも「使い勝手の良い」の製品が優先されるからなのです。今回は、職人をテーマにした作品を三つ紹介します。

 

「職人を扱った作品」の第一弾は、上野歩『削り屋』(小学館文庫、2015年)。親子三代歯科医という家庭に生まれ剣挙磨。削りの技術では、それなりに優れた技能を持っていました。しかし、ある事情から、歯科医としてではなく、そのパワーを切削加工(削り屋)の町工場「鬼頭精機」の職人として発揮することに。「削る」ことに高い能力を有した職人たちの「奥深い世界」、仕事の真髄、考え方や苦悩がよくわかるお仕事小説です。

 

[おもしろさ] 「安全」を第一に考え、きちんと仕事に向き合う

「今の製造業の現場って、手作業じゃなくコンピューターのプログラミングでモノづくりを行うNC化が浸透してるんだ。データ入力して機械を作動させれば、自動的に同じ形の切削ができる。いまだに汎用旋盤中心にやってるのは鬼頭精機ぐらいじゃないかな」。そんな同社の工場は、古く汚れてはいるのですが、汚くはありません。道具類もよく手入れされ、棚や箱にきちんと収納されています。ボロ工場と揶揄されそうな外観ではあるものの、きちんと仕事に向き合うというポリシーを貫徹させています。また、先輩の職人が挙磨に対して矢継ぎ早に下す「命令」の数々にも興味がそそられます。「後ろ髪が長いので、帽子をかぶれ」。「切粉(床に散乱している鉄屑)には、触るな」。「グローブなんか、外せ。素手の方が安全だ。それに作業服の袖もめくり上げろ」。いずれの「命令」にも、理由があるのです。「ちゃんとした知識を持って、モノづくりの道具・設備を使いこなせ」という、職人たちの「安全」を考えてのことなのです。本書の魅力は、優れた職人を生み出す「職場環境」をリアルに再現している点にあります。

 

[あらすじ] 歯科医の卵が、削りつながりで旋盤工に

地元群馬の歯科大の2年生、剣 挙磨。実家である剣歯科クリニックの院長・由兼や副院長の兄・兼継とは、折り合いが良いとはいえません。トラブルを起こした友人・吾郎のため、大学を退学し、返ってきた半期分の授業料200万円を用立てます。そのことで、家にいられなくなった挙磨は、あてもないまま上京。「旋盤工募集、見習い歓迎 住み込み可」という張り紙に引かれ、下町(墨田区吾嬬町)の金属加工会社・鬼頭精機に就職。「歯科医の卵が、削りつながりで旋盤工に」なったのです。「削り」には自信のあった挙磨でしたが、大学でやってきたことはまったく通用しません。それでも、夢中で取り組むなか、手作業による削りの仕事が自分の打ち込める世界だと気づくことに。やがて、職人の腕を競う「技能五輪全国大会」をめざすようになります。立ちはだかったのは、中学時代からなにかにつけてからんでくる、神無月グループの御曹司・神無月純也。両者の戦いが始まります!