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『おくりびと』 - 納棺師という仕事に対する矜持が生じるとき

「『仕事を始める』を扱った作品」の第二弾は、百瀬しのぶおくりびと』(小学館文庫、2008年)。遺体を拭き清めることを生業とする納棺師。「現世での汚れや苦しみの一切を洗い清め、来世での功徳を願いながら心を込めて執り行います」。世間では必ずしも温かい目で見られてはいないものの、「安らかなお見送り」には欠かせないお仕事です。やむを得ず、この職業に就いた小林大悟37歳。しかし、仕事を重ねていく過程で、納棺師としての矜持を感じるようになっていきます。2008年9月13日に公開された映画『おくりびと』(監督は滝田洋二郎さん、主演は本木雅弘さん、出演は広末涼子さん。第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞作)を小説化したもの。

 

[おもしろさ] 愛情に満ちた職人と呼ぶのにふさわしい振る舞い

生まれながらの性別を受け入れることができず、生きにくい人生を送ったすえ、自死することを選んだ男性。遺族の希望で「女性用」の化粧を施したことで、やっと「楽になったな」「あの世では幸せにな」という遺族の声に示されるように、安らかなお見送りを行うことができた。一人暮らしの老女の孤独死。死後2週間放置されていたため、結構傷んでいる……。作中に出てくるさまざまな故人の事例。しかし、どのような場合でも、淡々と仕事を遂行していく佐々木生栄の姿を目の当たりにして、大悟の納棺師を見る目も大きく変わっていきます。「冷たくなった人間に、再び体温を与え、永遠の魂を授ける。佐々木はそんなマジックを行っているように見えた。それは冷静であり、正確であり、そして何よりも優しい愛情に満ちている。まさに職人と呼ぶにふさわしい仕事ぶりだ。別れの場に立ち会い、個人をおくる。静謐で、すべての動作がとても美しいように思えた」。遺族が存分に別れの時を過ごしてもらえるようにするため、棺の蓋を手にじっと待っている佐々木の瞳には、限りないやさしさがたたえられていたのです。

 

[あらすじ] チェロ奏者が納棺師に

音大時代はコンクールで優秀な成績を収めたこともあった小林大悟。卒業後は楽団に所属するよりもソロで活動する道を選びました。それなりに順調に仕事をこなし、ヨーロッパ留学を経験したあと、楽団に入り、生活基盤を確保したうえで結婚。チェリストとしての未来も明るいと信じていました。ところが、楽団オーナーの「解散、します」という無情な声とともに、その仕事は一瞬にして消失。WEBデザインの仕事をしている妻の美香に内緒でローンを組んで購入したチェロの借金1800万円がふたりに重くのしかかります。故郷の山形で、母が残してくれた家があるので、やむを得ず、そこにふたりで引っ越しすることに。新品同様のチェロも売却。山形に戻って、すでに2ケ月が経過。なかなか仕事を見つけることができません。ある日、新聞紙上に掲載されていた「年齢問わず、高給保証、実質労働時間わずか、旅の手伝い」というNKエージェントという会社の求人広告が目に留まります。面接を受けに、同社の事務所に行くと、車の免許を持っていたことで、社長の佐々木のアシスタントとして即採用されます。そこで初めて、納棺という仕事の説明がなされ、新聞広告の「旅の手伝い」というのは、「旅立ちのお手伝い」の間違いだと説明されたのです。「断ろう」という大悟の心中を見越したのか、佐々木は、「これも何かの縁だ。とりあえずやってみて、向いてないと思ったら辞めりゃいい……。ひと晩考えて、やる気になったら明日また来て。な?」と伝えます。帰宅後、美香にも仕事内容をはっきりと伝えることができません。戸惑いながら働き始めた大悟。しかし、佐々木の納棺師としての真摯な姿勢を見る中で、さまざまな境遇の人たちの死や別れと向き合い、納棺師に対する偏見がなくなり、その職業に対する矜持が芽生えていくことになります。でも、妻や友人に、その仕事の意義を理解してもらうのは、非常に難しいことだったのです。