経済小説イチケンブログ

経済小説案内人が切り開く経済小説の世界

経済小説のキホン②

経済小説案内人イチケンです。経済小説の基礎知識をご紹介しています。

前回は「経済小説とは」や、「経済小説のおもしろさ」を、お伝えしました。

二日目の今日は、こちらの三つのキホンについて取り上げます。

 

 

3 経済小説の役割・意義って、どんなところ?

経済小説の存在意義としては、次の3点を挙げることができます。
第一は、企業や経済に関する関心を喚起できる点です。特に、初めて経済や企業について学ぼうと思っている人にとって、本格的な学習に向けての「呼び水」となります。小説ですので、読みやすく、おもしろいからです。学生やビジネスマンにとって、経済やビジネスの学習に関する格好の入門書となるでしょう。
第二は、単に抽象的な知識としてだけではなく、具体的かつ体感的、感覚的にも理解できる点です。さまざまな時代環境のなかで苦悩する人間の「生の表情と声」が盛り込まれているのも、経済小説の魅力です。一例をあげますと、「流通革命」の教科書的な理解は簡単ですが、その実態は、城山三郎の『価格破壊』のなかで具体的な姿が示されています。
第三は、登場人物が、いろいろな問題を直面し、それを解決していきますので、問題解決の方法を学ぶことができる点です。

 

4 経済小説というジャンルは、日本以外の国にもあるの?

企業や経済を扱った小説は、海外にもたくさんあります。しかし、どうもジャンルとして確立しているのは、日本だけのようです。
その理由として、欧米諸国には、優れたノンフィクション・ルポタージュがたくさん存在しますので、あえて小説の形で書き残しておく必要性が乏しいことが考えられます。転職も多いですし、会社や組織に対する忠誠心もそれほど高くありません。組織を離れてしまいますと、過去の出来事を洗いざらい書いてしまうこともまれではありません。
それに対して、日本人の場合はどうでしょうか? かつては組織や会社に対する帰属意識が高かったために、過去のいきさつをノンフィクションという形で露骨に書けなかった。そのような傾向が依然としてあるように思われます。ただ、小説という形であれば、書き残こすのに抵抗感が少ないといった事情があるのではないでしょうか。
日本の経済小説は、欧米諸国でノンフィクションが果たしている役割の一端を担っているのではないかと、私は考えています。

なお、日米の文化事情の違いとして、安土敏さんの『企業家サラリーマン』を翻訳した元イリノイ大学教授の千栄子ムルハーンさんが興味深いことを指摘されています。アメリカでは、サラリーマンを主人公にした「お涙頂戴物語」は一般受けしません。こちらの企業小説または管理者小説では、会社、産業、国の運命を賭けた苦闘がテーマとなるそうです。ハリウッド映画も同様の傾向を有しているといえるかもしれませんね。

 

5 経済小説というジャンルが、日本で確立したのはいつごろ?

 経済小説もしくは企業小説という言葉が日本で定着したのは、1970年代後半以降に生じた「経済小説ブーム」の渦中においてのことです。それ以前においては、いわゆる「ビジネスもの」は文学作品として高く評価されることはほとんどなかったのです。それは、作家の水沢溪さんがかつて指摘されたように、日本の文壇では、私小説的な作品が中心で、金銭や出世欲などが絡む企業社会を描いた作品は高尚な芸術的世界から見れば、一段も二段も低い次元のものだとする風潮があったからです。
ところが、高度成長期(1955~1973年)になりますと、企業の内幕やサラリーマンの苦悩を扱った作品が登場することになります。それは、後述する「第一世代」の書き手が現れたからにほかなりません。その結果、経済やビジネスを題材とする小説が徐々に市民権を獲得し始めていきます。
そのような経緯を経て、経済小説が一つのジャンルとして確立することになるのですが、それは、オイルショックによって、高度成長が終わり、安定成長期(1973~1986年)と呼ばれる時代になってからのことになります。今日ではめずらしいことではなくなっているのですが、倒産・出向・窓際族・人減らしといった不景気な言葉が飛び交かった時代でした。ガムシャラに走ってきた人々の間で、将来に対する不安が高まり、企業や業界に関する知識を得たいというニーズが生まれてきたのです。それが経済小説ブームの背景にあったと考えることができます。