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『被取締役新入社員』 - 新入社員は正真正銘の「ダメ男」! 

小説の主人公としては、多くの場合、特定の領域で秀でた力を発揮する、与えられたことと精いっぱい向き合う、新しいことに挑んでみるような人物像が想定されるのではないでしょうか。もちろん、なにをやらせてもうまくいかない「ダメな人間」「できない人間」と思われそうな人物にスポットライトが当てられることがまったくないわけではありません。が、その場合でも、その人にもなにか「いいところ・長所・力」が必ずあるという、書き手の思いが根底に潜んでいるように見受けられるようです。今回は、周りの人だけではなく、自分自身でも「ダメ男」「できない男」と考えている男性を主人公にした作品を二つ紹介します。

「『ダメな男』を扱った作品」の第一弾は、安藤祐介『被取締役新入社員』(講談社、2008年)です。エリート集団からなる大手広告会社に、ある特別のミッションを持って雇われた「ダメ男」の奮闘ぶりをユーモアなタッチで描いた作品。広告代理店で働く人を扱ったお仕事小説でもあります。TBS・講談社第1回ドラマ原作大賞受賞作。2008年3月に、TBS 系列で放映されたドラマ『被取締役新入社員』(出演は森山未來さん、陣内孝則さん)の原作です。 

 

[おもしろさ] 「ダメ男」の意外な「効用」

本書のおもしろさは、二つあります。一つ目は、バリバリのエリートたちがひしめく大手広告会社に正真正銘の「ダメな男」が雇われた意外な理由です。社長の説明にしたがえば、その会社は、どの部局をとっても社員はエリート肌ばかりでプライドが高く、お互い張り合って、すっかり疲弊していた。嫉妬心から同僚の失敗を喜び、足を引っ張ることもまれではない。ところが、人間は、ある基準において自分よりも下であるとされる「ダメ男」がいると、安心するもの。そこで、精神的鬱憤の捌け口を作って、ガス抜きの対象となる人物が必要になったというわけなのです。二つ目は、その男が大失敗を演じようとするなかで、その男が斬新なアイデアを出し続けるという展開にあります。ある日のこと、得意先を接待するための宴会での一発芸で、相手方のご指名により、「ダメ男」の「おならファイアー」という一発芸が大いに受けてしまいます。すると、彼を指名した制作依頼が舞い込むようになります。大失敗を演じようとして、彼がそれまでの枠にとらわれないアイデアを出すと、これもまた相手に大いに受けてしまうのです。このようにして、「ダメ男の躍進」という場面を設定することによって、「強烈な個性」が欠けているという現代日本の会社組織にある種の喝を入れようとする意図が隠されているのかも知れませんね。

 

[あらすじ] 「ダメ男」に課せられた特別のミッションとは? 

主人公の鈴木信男は、「ともかく冴えない男だ。ガキの頃から不細工でウスラバカ。そしてそのまま大人になった」というような人物でした。勉強ダメ。スポーツもっとダメ。高校卒業後の十年間、アルバイトでなんとか食いつないできました。ところが、28歳になって記念に受けた大手広告代理店の大曲エージェンシーに採用されたのです。しかも、特別な任務につく「役員」としてなのです。その理由を聞くと、誰しも思わず笑ってしまうことでしょう。というのも、優柔不断、臆病、自信のなさ、手順や効率などを考える力が皆無に等しいことなどが高く「評価」されたからです。課せられたのは、表向きは制作局の社員として勤務しながら、週3回は遅刻する、けっして業績を上げない、上司を怒らせる、スーツはアイロンをかけない、退社は必ず定時にといったもの…。それらが任務であることを一切口外しないように念押しされます。役員報酬は年間3000万円。ただ、「取締役」(とりしまりやく)ではなく、「被取締役」(とりしまられやく)という奇妙な役職名でした。社長の要望で、羽ケ口(はけぐち)信男という名前で働くことになったこの男。他の社員の軽蔑や罵詈雑言を一身に浴び、社内のストレスのはけ口になり、天性のダメ男ぶりを発揮し、会社の業績を急伸させることに貢献します。