経済小説イチケンブログ

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『カラ売り屋』 - あくどい企業を探し出し、調べ、徹底的に戦う

空(カラ)売りとは、投資対象である物を保有せずに、対象物を売る契約を結ぶこと。「株式のカラ売りの場合は、証券会社などから借りてきた株を市場で売却し、株価が下がったところで買い戻し、借りていた株を返却」。その差額で利益を得る取引のことです。そうしたカラ売りを専門に扱う投資会社=「カラ売り屋」は、アメリカでは1980年代初頭に出現しています。一方、日本では皆無に近いこともあって、ヴェールに包まれた存在でした。そんなカラ売り屋の実態を小説の世界で見事に描いたのが、経済小説作家の黒木亮です。今回は、カラ売り屋の実態をさまざまな角度から浮き彫りにするために、彼が上梓した四つの作品を紹介します。黒木さんは、徹底した取材と文献・資料分析をベースにした重厚なドキュメンタリータッチの作品を多数手がけており、独自な「黒木ワールド」を創り上げておられます。

「カラ売り屋を扱った作品」の第一弾は、黒木亮『カラ売り屋』(講談社、2007年)。舞台はニューヨーク。カラ売り専門の投資会社「パンゲア&カンパニー」が狙いを定めた企業と徹底的に戦う様子がヴィヴィッドに描写されています。なお、本書には、四つのテーマを描いた中編小説が収録されています。表題作の①「カラ売り屋」のほか、②国の財政支援を当てにした「村おこし屋」、③主に新興国市場で働き、国際金融のプロと称される一流の「エマージング屋」(途上国専門バンカー)、④銀行の管理下に置かれているホテルの再生を手掛ける「再生屋」が扱われています。

 

[おもしろさ] 対象企業も死に物狂いの反撃を展開

ずさんな経営を行っている企業を特定し、客観的な根拠に基づいて作成されたレポートを公表することで株価を下げようとする「カラ売り屋」。「投資家を欺こうとする企業を探し出し、市場の審判を受けさせる仕事は、カラ売り屋の誇り」です。それに対して、死に物狂いの反撃を行う「対象企業」。この作品の魅力は、両者の間で繰り広げられる凄まじいバトルが描かれている点にあります。まず、カラ売り屋は、対象企業の有価証券報告書、証券会社の調査レポート、建設業界誌や新聞・雑誌の記事、関係者へのヒアリング、アナリスト説明会や株主総会への出席はもちろんのこと、必要な場合には、現地に赴き、実地検査も行います。そして「売り推奨のレポート」を公表し、かなりの額のカラ売りポジションを積み上げます。もちろん、「売り推奨レポート」の対象になった企業が黙ってパンゲアの行為を見ているわけではありません。ありとあらゆる機会を設けて反撃します。幹事証券も、死に物狂いで「買い推奨」を行います。株価が上昇すると、カラ売り用に借りた株の借株料もボディーブローのように効いてくることになり、その結果、戦いが長引けば、カラ売り屋にとって不利になるからです。さらに、名誉毀損にもとづく損害賠償請求を提起する訴訟が起こされるケースもでてきます。したがって、カラ売り屋の方も、相当の覚悟を持って事態に当たらなくてはなりません。

 

[あらすじ] 「株主をナメた会社は、絶対に許さん!」

38歳の北川靖。5年前、ある産業政策に関して局長と激しく対立したことで、霞が関の官庁を飛び出し、渡米。ニューヨークで、カラ売り専門の投資会社「パンゲア&カンパニー」を創設。共同経営者(パートナー)のジム・ホッジス(アメリカ人)とアデバヨ・グボイェガ(ナイジェリア系アメリカ人)は、北川が留学していた経営大学院のクラスメイトです。当初の資本は30万ドル。いまでは500万ドル以上に膨れ上がり、投資家からの委託資金も8000万ドルに達しています。この作品でメインターゲットとして登場するのは、地盤強化や斜面安定工事といった特殊基礎土木工事を専門とする建設会社「昭和土木工業」(東証二部)です。調べ始めると、いい加減な経営のあり方がボロボロと出てくる始末。「株主をナメた会社は、絶対に許さん!」。かくして、パンゲアと昭和土木工業との熾烈なバトルが始まります。